去る平成6年12月11日、大阪MBSギャラクシーホールで、骨髄移植推進全国大会94が開催されました。また、全容を掲載致します。なお、第1部は要約を掲載させていただきます。第2部以外は、ご本人の話口調ではなく、編集者が修正してあります。 第一部  骨髄移植推進財団 理事長            小池 欣一  白血病や再生不良性貧血など血液の難病に苦しむ患者さんを救うために、多くの分野の皆さま方からご支援を戴きまして誕生致しました公的な骨髄バンクはおおむね着実な進展を見まして、ここに3周年を迎えることが出来ました。これ一重に、厚生省、地方公共団体、日本赤十字社、および、全国骨髄バンク推進連絡協議会や、関西骨髄バンク推進協会など、関係機関各位からの懇切なご指導、ご協力による賜であると、厚く御礼を申し上げる次第でございます。また人の命を救うという骨髄バンクの使命を深くご理解を戴きまして、骨髄提供希望者として登録をしてくださいました多くの皆さま方、この方々の崇高なお志しに敬意を表し、深く感謝を申し上げるところでございます。  この3年近くを振り返ると発足以来、先月末で57983名の登録を戴いております。また骨髄移植は本年11月末までに262例と順調に進んでいます。患者登録は、11月末現在で2530人です。設立3周年を迎え、当財団としては、課せられた使命の重大さを改めて認識しました。骨髄移植に関する普及啓発、骨髄移植までの連絡調整、骨髄移植に関する調査研究等をより積極的に推進しまして、国民の健康と福祉の増進に寄与していきます。どうか骨髄バンク事業の将来の発展を期するために、寄り一層のご指導、ご支援を賜りまするよう、お願いを申し上げる次第でございます。 *****************************  その後、厚生大臣の祝辞(代読)大阪府知事の祝辞(代読)、大阪市長の祝辞(代読)、日本赤十字社社長の祝辞(代読)が続き、日本骨髄バンクの順調な進展に対して、祝辞を述べると共に、登録して下さった提供希望者、提供者に対して、感謝の気持ちを表しておりました。 ***************************** 全国骨髄バンク推進連絡協議会        会長 海部 幸世  全国より骨髄バンク全国大会にご参集戴きまして、心からお慶び申し上げますと共に、財団公的バンクになった3年を本当に慶ぶものでございます。私は、推進連絡協議会のお仕事を皆様とともに一緒になって頑張らせて戴いております一人ですが、各地でたゆまない皆様のその努力に触れさせて戴いて、どんなにか感動を覚え、私もこうした一つの命を戴いて、今日まで頑張らせて戴きます。その自分の健康を感謝するとともに、なにかその一部を役立たせていただきたいという気持ちをいつも新たにしております。今日ここにお集まり戴いております皆様方、そして骨髄を提供しようとするドナーになって戴いてる方々のご参集、本当に心から感謝申し上げ、その温かいお気持ちを大切にしなければならないと、一層に私どももこれから頑張って行きたいと考えております。3年になりましてドナーは約6万人になっております。しかし目的は10万人でございます。また最近の新規ドナー登録数に、少々いきづまりを感じているということも考えねばいけません。 昨年行われた200万人署名運動の皆様方の決意には、今持って敬意を表するものでございます。一枚一枚を書いていただきますあの努力、それをお願いされる皆さんの努力、私は、これが今日までのこの経過、それによって命を助けられた方、それを待っている方、助けてあげようとして頑張って下さった方のそのにじみでるものと合わせ持って、温かい希望を持っておりますとともに、これからもたゆまざる努力によって、この生命をいただいた我々が、もしも少しの力によって他の命を支えることができたら、それは素晴らしいことではないか、そんなことを考えています。その署名運動の結果が私はまだはっきり聞こえてこないのは少々残念でございますけど、その大切な皆様の200万人の声をこれから先頑張って、大きく力強くしていきたいと思います。どうもありがとうございました。 関西骨髄バンク推進協会会長           佐藤 武男  この全国大会はこの大阪で開かれましたこと、まことに光栄に存じております。これを機会に関西でも骨髄バンク推進事業がますます活気がつきまして、前に進みますことを期待しております。いろいろと私はガンをしまして、これから21世紀、あと僅かではございますが、わが国のガンも50万人台に突入するわけです。しかも50万人のうちの40%は難治ガン、ぜひこの難治ガンをこれからどうにかしていかなくてはいけない。そういう時代にさしかかっていますが、この白血病の治療はその難治ガンの治療の突破口を開いたものとして高く評価しているわけです。既に多くの専門家、多くのボランティアの支えによりまして骨髄移植の成功率、治癒率は60%を越え70%に近づいているという、これこそ近代医学のまさに勝利であると考えているわけです。特に難治な病気の方を支えるシステムがこれからこの白血病の治療法、骨髄バンクの方法をまねて前進したいものと常々考えております。この事業が既に目標の50%を越えておりますので、これが世界に成功したことを宣言できる時代が早く来て欲しいということを心から祈念しております。皆様と共にこの事業を支えたいと思います。簡単ではございますが、お祝いの言葉を述べさせて戴きました。どうもありがとうございました。 その後、骨髄バンク事業経過報告が、骨髄移植推進財団副理事長 高久史麿から報告されました。(同内容が募る会会報23号に掲載されているため、省略させていただきます。)第1部と第2部の間にはボランティアで吉村育子様によるハープの弾き語りが行われ、難しい話の中で、気分がリラックスしました。 クリスマス献血ご協力ありがとうございました。 平成6年12月23日(金)に、名古屋三越前栄広場で毎年恒例のクリスマス献血が行われました。  220人以上の方が、協力を申し出ていただき、193名の方が実際に献血にご協力していただきました。ありがとうございました。20数名の方は、献血を申し出ていただいたのですが、採血基準に合格せず、申し訳ございませんでした。献血は、このように普段の健康管理にもなります。今後とも、ご協力をお願いいたします。多くの患者さんが、あなたの善意を待っています。  第2部は、骨髄バンクを介して、提供したドナーと、提供を受けた患者が、(もちろん1対1ではありませんが、提供した後、提供を受けて元気になった自分の気持ちを述べました。 第2部 大谷貴子   第2部を始めます。本日の第 2部は骨髄を提供して下さった 方と、骨髄移植を受けられた患 者さん、もちろん1対1対応で はありませんが、今どんな気持 ちでお過ごしなのか伺い、後半 には骨髄移植に携わってくださ いました医師、看護婦の方にお 話を伺います。では提供された 方、患者さん、壇上に上がって きて下さい。   申し遅れましたが、私は骨髄 移植推進財団普及広報副委員長 をしております大谷と申します。  私も、約7年前に骨髄移植を 受けました元白血病患者です。 こんなに今私は元気にしており ます。これほど元気にすごして いる患者の代表として、私が今 日の司会を務めさせて頂きたい と思います。   今日、こちらに10人の方が 並んで下いました。提供者の方 が5人、患者さんが5人です。 私はお名前は存じ上げておりま せん。あえてお名前は伺ってお りません。これは骨髄バンク事 業においてはお名前はどうでも いいことで、また、提供者さん と患者さんとのお名前や住所の 交換は出来ないようになってい る関係上、あえて伺いませんで した。それでは私がどんどんイ ンタビューをしていきたいとお もいます。   やはりまず提供して頂いた方 に感謝の意を表して提供者の方 からお話をしていただきたいな と思っております。私はこうは 見えましても、元患者です。提 供して下さった方には本当に心 から敬意を表したいと思います。 提供して下さった方々、本当に ありがとうございました。では、 まず骨髄バンクに登録されたき っかけをお話を頂けませんでし ょうか。 提供者4(男)   きっかけというと、献血をよ くやっていたので、献血の場所 に置いてあるパンフレットを見 て、そういうことで自分の血液 が役にたてたらと思って、とそ ういうわけで3年前程に登録し たわけです。 大谷   提供されるときに、麻酔をか けますよね。麻酔の不安を聞い てしまったなとか、登録しなけ ればよかったなとか、そんな不 安をどのように乗り越えられた のでしょうか。 提供者4(男)   僕の場合は、不安というのは 特になかったので、事前のコー ディネートの段階で本当に詳し く、本当に繰り返し教えて頂い たわけです。その時に、危険が ゼロだというふうには、もちろ ん教えてもらわないわけで、非 常に低い確率の危険であるとい うわけです。どのくらい低いか というと、例えば飛行機に乗る ときに、落ちるかも知れない。 あるいは交通事故に会うかも知 れない。そういう軽い言い方は もちろんコーディネーターさん はされないのですが、こちらが そういうふうに理解するような、 そういうことを教えて頂いたわ けなんで、僕は飛行機に乗ると きに恐くなったことは一度もな いのですので、大丈夫でした。 これはちょっと性分というのか 性格によるものかも知れないん ですけども、僕の場合、そうい うことで、非常に低い確率なん だ、ゼロではないけども、非常 に低い確率なんだと、というこ とでじゃあ僕は当たらないに違 いない、いうふうに思って不安 はなかったわけです。 大谷   そうですか、そうしたら他の ご提供されたかた、不安につい て、やはりここにいらっしゃる 方は登録したいなと思われても 麻酔についても不安が一番恐い と思うのですが、僕は私はこの 様にして麻酔の不安を乗り越え ましたとか、不安はなかったよ、 とかいう方はございませんか。 提供者10(男)   僕も今の話を聞いて思ったの ですけれど、今日の為に昨日飛 行機で来たのですね。初めて乗 りました。いや恐いですね。離 陸するときというのは、もう一 回提供するか飛行機に乗るかと 言われたら、僕は間違いなく骨 髄を提供する方を選ぶんじゃな いかというくらい、飛行機の方 が恐かったです。雲の上に上が っちゃうとまあ、気持ちよくて よかったのですけど、僕も、前 に何万例もの骨髄の採取がされ ていて、その中でほんの1例か 2例だけ事故があったというの を聞いていたのですけれども、 その確率ったらほんとうに低い ものですよね。だから、たとえ ば、海外旅行にいくときよりも、 骨髄提供の事故の方が確率が低 いのではないかって、そう思っ て、まったく不安はありません でした。 大谷   そうですか、それではお二方 は、たまたま不安がなかったと いうことですが、あと、どなた か、不安はあったこの代表でし ゃべってみたいという方はいら っしゃいませんか・・・・・。 提供者8(女)   私も、特に不安は、皆さんな かったということはないんです けども、実際問題、本当に日本 で1例あったということで、お 医者様やコーディネーターの方 に何でこういう事故が起こった んですかということをきっちり 聞きまして、腰椎麻酔と全身麻 酔の違いであることや、普通に 全身麻酔を行われていても、全 ての手術を必要とする患者さん、 別に骨髄採取に限らず、盲腸を きったりする患者さんすべてに 当てはまる危険性だということ で、これを恐がっていては盲腸 も切れないし、お産も麻酔が必 要な帝王切開も出来ないし、非 常に大丈夫だなということを感 じていました。どちらかという と、私は痛いんじゃないかとか、 あと手術の後に働けなくなって はどうしようということは感じ ました。 大谷   実際痛みとか、提供されたあ と、お仕事はどうですか? 別 に仕事が出来なくなった訳では ありませんよね。実際、痛みと か提供されたあとの不安などが あったということを伺いました が、ご自身痛みについては如何 でしたか? 提供者8(女)   えぇ、痛みの不安も実際にい ろいろな自分の中のネットワー クとか、あと対外的なネットワ ークを使いまして、ドナー経験 者の方にどれくらい痛いもので すかと聞いたりとかしてたんで すが、私自身の本人の痛みでい いますと、あの、ちょうど大き な青あざを作ったあとみたいな。 お医者様がおっしゃったのはも っとショッキングで、馬でけら れたあとだとか、バットでおも いっきり殴られたあとの痛みと いうことで、殴られた時の痛み は手術中でないですよというこ とだったんですね。私自身経験 してみて、手術中は勿論全身麻 酔なので何にも覚えてないです し、終わってからも局部麻酔と いうことで痛みを抑えていただ く麻酔をかけていただいてたの で、大丈夫でした。ただ、やは り腰のこの部分に、大きな青あ ざ、実際にはそういうのはない んですけど、何かに当たったと きだとか、誰かにぶつかったと きにある衝撃、みなさんすねに 青あざ作ったりとか、手に青あ ざ作ったりとかみなさんたくさ んあると思うんですけど、ちょ うどあの状態の様な感じが約1 週間くらいつづきました。 大谷   そうですか、そうすると、痛 みに関しては千差万別だと聞い ているのですが、私はきっと他 の人よりも軽かったわという、 自分で比較はできませんが、思 っていらっしゃる方はいらっし ゃいますか? 提供者4(男)   あの、全く千差万別だと思う んですけど、僕は全く痛くなか ったのです。お医者さんは不思 議がっていた感じで、とっくに 麻酔が切れているはずですなん ですがと、その日の昼ごろに、 手術終わってから3〜4時間後 にいわれたのですけど、少しも 痛くなかった。 大谷   麻酔が切れたことも知らなか った・・・ 提供者4(男)  そういう訳です。 大谷   はい、ありがとうございまし た。はいどうぞ。全く痛くなか ったということですか? 提供者7(女)  そうですね。 大谷   こんな簡単なものだったのか ・・・という感じですか? そ んなことではなかったですか? 提供者7(女)  眠い方が先でした。 大谷  麻酔科か覚めて・・・・  提供者7(女)   もうちょっと寝かしてくれる かなぁというふうな、起きなさ い、起きなさいと言われますよ ね。麻酔が覚めるかどうかとい う時に、だからそっちの方で、 で、たくさんいろんな管をつけ られてますよね。それを外され たら、ぴょんと飛び降りて、自 分の体をみて、あっ、大丈夫だ なって感じで、そのままどこか へひょいひょいと行くというく らいの感じでしたね。   だから、私は、先ほど7日間 以上入院した方は・・という感 じで言われていたんですけども、 ちょうど7日なんですね。でも 実際には、最初の前2日間いら ないと思いますし、あとの2日 くらいもいらないと思います。 大谷   それほどご自身では軽かった という訳ですね 提供者7(女)   まぁ、病院のシステムという か、それでそれだけの入院があ ったような気がします。 大谷   ありがとうございました。で は今、ご発言されていない方で、 もう一つお伺いしたかったこと があるのですが、お仕事お持ち ですか?(はい)お仕事をお持 ちだと、お仕事の休み、今7日 間こちらの方は入院されたとい うことですけども、あなた様は、 お仕事の休みをどの様にして取 られたかとか、そういうことも 含めてお話いただけますか? 提供者9(女)   そうですね。私は、休みは5 日間、土日を挟んで5日間取り まして、会社が普通の一般の企 業なものですから、あんまり大 した休暇の制度がなくて、それ は有給休暇扱いということで、 一応上の人と話して、有給で終 わらせました。 提供者9(女)   痛みはほとんどなくって、あ の、他にあまり手術を受けたこ とがないもので、どの程度が普 通というのは分からないのです けれど、たぶん普通くらいで、 やっぱり麻酔のせいか何かで、 当日戻したりとか、2日ほど食 欲がなかったりしたもので、も う今ではすっかり戻ったのです けれど、その時は3Kgくらい 痩せたので、もう一回くらいや ろうかなとその時は思いました。 大谷  究極のダイエットですか。 提供者9(女)  ええ、もうばっちりです。 大谷  ありがとうございました。   そうやって全身麻酔をかけ、 こうやって明るくおっしゃって 下さいますけど、それでも全身 麻酔をかけて骨髄を提供すると いうのは、私にはすごいなと思 うのですが、そうやって皆さん 提供して下さったわけです。そ して、一方、当然、それを受け た患者さんがいるわけですけれ ど、今、患者さんはこういう話 を聞いてどう思われたのでしょ うね。もしかしたら骨髄移植に ついてはよく分かっているけれ ども、骨髄提供については、よ く分からなかった、ということ はないと思いますけれども、提 供された方を前にして、感謝の 気持ちもあると思いますけれど も、今、どの様な生活ぶりをし ているかというところからお話 を伺ってみたいと思うのですが、 患者さんの中で、僕が、私が一 番元気だぞという方はいらっし ゃいませんか? 患者5(男)   この秋に職場復帰を致しまし て、今、本当に普通の社会人と して生活させていただいており ます。どうもありがとうござい ます。今日、財団の方や、直接 提供者としてご協力して下さい ました方に一言感謝を申し上げ たくて参りました。 大谷   よかったですね。ついうるう るしてしまうのですが。よかっ たです。そして提供者の方々、 ありがとうございました。そし て患者さん、おめでとうござい ました。では、たとえば、生活 ぶりということで、薬をもう飲 んでいない人はいらっしゃいま すか? はい、どうぞ。では、 この方の生活ぶりを伺っ てみ たいとおもいます。 患者2(男)   3年前に発病したんですけど、 昨年移植を受けました。それで、 最近やっと主治医の先生から、 仕事をしてもいいということを 言われまして、いま仕事を探し ているところです。3年前に発 病して、移植を受けるまでは、 血液の悪い症状が出ないような 抑える薬を飲んでいたのでけど、 それを2年間飲んで、昨年移植 をしたあとは、移植の拒絶反応 を抑える薬を飲んだので、3年 ぐらい薬をずっと飲んでいたの ですが、最近やっと飲まなくて よくなりまして、本当に薬から 開放された喜びで一杯でありま す。それで、こういうところに 出るのは非常に苦手なもんで、 小学校の学芸会以来、スポット ライトを浴びたことがないので すが、やっぱり提供して下さっ たかたに感謝の言葉を伝えたか ったので、本当だったら提供し てくださった方に、直接お会い して言いたいのですけど、今日 来て下さった方の中にいらっし ゃるかもしれないし・・・とい うことで、その方たち、全ての 方達に、感謝の気持ちを伝えた いと思います。どうもありがと うございました。 大谷   よかったですね。本当に命か ら命へのプレゼントという感じ が実感で涌いてきます。薬が始 まり、それから病名はちょっと 存じ上げませんが、白血病なり、 再生不良性貧血なり、血液の大 変な重い病気を患われて、そし て移植をうけて、そして、その 移植というのがどなた様からか、 分からない方の提供を受けて、 そして薬までなくなった。とて も感動的な話を伺ってありがと うございました。   自分が例えば、移植の最中、 とても大変で、そして今こんな に元気になったよという、比較 対照の方はいますか。 あっ、 患者さんの中で紅一点、かわい いお嬢さんですけれども。 患者3(女)   私は、移植をして少しの間は 順調に治っていったんですけど、 帯状疱疹という病気にかかりま して、それが足にでてしまって、 全く歩けない状態になってしま ったのです。それで、一時は病 院では車椅子生活を送っていま した。それで、先生からも、ど れくらいたったら治るかとかい うことも、全然分からない、と いわれて、私はすごく悔しかっ たから、歩行器を使って歩く練 習をしたり、壁づたいに歩く練 習をしたりして、一生懸命に歩 く練習をして、やっと、半年く らいかかって普通に歩けるよう になりました。そして今はやっ とアルバイトも出来るようにな って、元気になることが出来ま した。 大谷  ちょっと歩いてもらいましょう か? 患者3(女)   えっ、こんな感じです。(舞 台を歩いてみせる。) 大谷   普通ですね。ありがとうござ います。お元気になられてよか ったと思います。ええ、私もつ いつい患者ですから、涙が出そ うになってしまうわけですけど も、あとお二方の患者さん、実 はこちらと、こちらにいらっし ゃるわけですけれども、この方 達の中にいらっしゃるかどうか 分かりませんが、もしかしたら 骨髄バンクでずっとずっと提供 者をこころ待ちにしていた、つ まり発病時期によりましては、 長い間、待たなければいけない 患者さんがいらっしゃるわけな のです。今、これだけ骨髄バン クのことが大きくなって参りま したから、幸いにも、すぐに提 供者が見つかるという時代に正 直言ってなってきています。で も私が発病しました7年前、8 年前にはまだ骨髄バンクがない 時代でしたし、そして骨髄バン クさえあればと思って泣いた時 期もありました。このあとの二 方の中にいらっしゃるかどうか 分かりませんけれども、自分は 待って待って移植を受けたとい う方はいらっしゃいませんか? 大谷  何年くらい待たれましたか? 患者1(男)  僕は2年くらいです 患者2(男)  2年くらいです。 患者3(女)  私は1年くらい。 患者5(男)   私は、初め自家骨髄移植をし たのですが、それがたまたま再 発しまして、その再発後にこち らに登録させていただきまして、 3カ月くらいで見つかりました。 大谷  すごい、よかったですね。 患者6(男)  大体半年くらいです。 大谷   2年という方がこちらにお二 方いらっしゃったのですが、待 って待って、移植を受けること ができて、そして今、このよう に今日元気にこちらに来てくだ さった訳ですが、まっている気 持ちというか、待ってやっと提 供者が現れた気持ち等をお話し ていただけますか? 患者1(男)   そうですね、全然不安はなか ったといいいたいんですけど、 実をいうと、ここに上がって、 さっきからずっと客席を見てた らですね。僕の主治医の先生が いらっしゃってまして、僕がど ういうふうに待っていたのかと いうのが、全部ばれているので すね。 大谷  じゃあ、全部告白しましょう。 患者1(男)   僕は、1回断られたことがあ ったのですけど、でも、そうで すね。その時にがくっと落ち込 みましたけれど。 大谷   どんな気持ちでした? ちょ っと酷な質問かもしれませんが。 患者1(男)   もうダメだと思いましたね。 これは、やっぱり 大谷   だめだというのは、もう死ん じゃうかなということですか? 患者1(男)  ええ、でも、一晩寝たらすっき り・・・・ 大谷  結構立ち直りが早いタイプで。 患者1(男)   それで、次の人を探せばいい かなという感じで。 大谷   そうすると、そういう苦しみ を味わった後の移植ということ で、今どんなお気持ちですか? 患者1(男)   ドナーが決まった時・・・と いうより、移植の当日ですね。 骨髄が運ばれてきて吊るされる んですよ。 大谷   骨髄液がですね。命のプレゼ ントがですね。 患者1(男)   吊るされて、こう点滴がつな がっているわけです。それがや っぱり来て、流れてですね、自 分の中に入っていくときが一番 感動しましたね。 大谷   温かいというか、こころが温 かい・・・という表現をした患 者さんがいらっしゃったんです けれども、なんかこう入ってく るっていう感じですか? 患者1(男)   そうですね。これで、いやも うこれでやっと終わった・・・ という感じでしたかね。 大谷  やっと生きれるぞ・・・という 患者1(男)  そうですね。 大谷   よかったですね。本当にこう やって元気になられて。 患者1(男)  ああ、どうも・・・ 大谷   提供者の方になにか、代表し て何か 患者1(男)   ああ、どうも本当にありがと うございました。 大谷   今、そこにおとなしい男性が 一人いらっしゃる訳ですけれど も、今どういう生活されていま すか? 患者6(男)   発病した時が学校にいってい る途中だったので、休学にして 入院することになったのですけ れど、退院して学校に戻って今 普通に通っています。 大谷   病気をしてから、なにか人生 観とか、変わりました? もし くは血液型がこの中で変わった 人います。提供者の血液型に変 わりましたという人。はい。私 もです。私もB型に変わりまし たけれど。それでは、いまちょ うど、マイクを持っておられる 方、提供者の方の血液型になっ たのですけれど、私よく質問さ れるのですね、性格かわりまし たかって。そんなこと変わらな いのですよね。ただ人生観は変 わると思うのですけれど。病気 をしてみて。まだ若いからちょ っと無理かな? 何か病気をし た後と、する前と、今、社会に メッセージはございますか? 患者6(男)   まあ、入院して、人の温かさ を感じたということが、自分に とってすごく大きかったですね。 大谷  温かかった? 患者6(男)  はい。 大谷   それは社会への感謝に、今後 つながって行くのでしょうね。 患者6(男)   人を見る目も、以前より優し くなっていると思うんです。 大谷   いいことだと思います。どう もありがとうございます。   では、次、提供者の方に聞い てみたいことがあるのですが、 提供されて、その後、いま、今 の患者さんが言ってたように、 気持ちの変化というものがあっ たという方、いらっしゃるでし ょうか。痛みを伴い、骨髄を提 供して下さって、そして今、こ こにこうやって壇上に上がって 下さって、提供したことへのこ ころの変化のある人、いらっし ゃいますか? 何か喜びとか・ 提供者8(女)   何か患者さんを目の前にする と、非常に恥ずかしいというか、 自分のしたことは当たり前なこ とで、大したことではないなと、 今改めて感じるんですけれども、 ごめんなさい(涙ぐむ)。子供 の頃から、だれかの役にたてた らいいなとか、大まかな感じで 世の中の役にたつような人間に なれたらいいな、というのは非 常に強く感じていて、じゃあ実 際にどのように行動したらいい かというのが、全然分からなく て、まあ、よく言われる、今の 若い人の、もう若くはないので すが、時代的に非常にいい時代 だったので、楽して生きていこ うとか、世の中を、なんという のですか、旨く渡って行こうみ たいな、別に人のことを気にし なくても、自分さえよかったら、 何とかなるんじゃないかなみた いな風潮になりつつあったので すね。その時にたまたま骨髄バ ンクの話を聞いて、まあ子供の 頃の夢もありまして、じゃあ私 が体の中の一部分、骨髄液です けれども、とられてもまた再生 できるもので、お役にたてるで あったらと思って、登録して、 で、実際に提供者になることが できました。   で、その時自身は、取られた 時には、中にはお手紙をいただ いた方がいらっしゃったようで すが、私はなかったんですよ。 で、私はこれだけちょっと手術 は痛かったというのがあったの で、ショックを受けたのに、何 も反応がなかったのが非常に寂 しくて、まあそのことに関して は、あとで「21才の別離」、 ドラマですか?を見て、私から 逆に手紙をかけばよかったなと 反省したのですけれど、まあそ んなことは置いときまして、ご めんなさい。最終的に、子供の 頃の夢がかなったなというか、 誰かこの世の中で一方だけだけ れども、その人にとっては、役 にたつことができたなとか、そ の人の命を助けることが出来た なというのは、非常に自分にと って個人的なことで患者さを前 にしては恥ずかしいのですけれ ど、自分の中で一つ自信にもな りましたし、ああ、いいことで きたなって非常に感じました。 ただあの、こうやって患者さん を目の前にしてしまいますと、 自分がそうやってそんなことに 自信を持ってしまったことが、 かえって恥ずかしいのですけれ ど・・ 大谷   いえいえ、どうもありがとう ございました。   折角ですけど、お隣の方、ど うぞお願いいたします。 提供者9(女)   おんなじ様なことですけれど も、私もミッションスクールで、 キリスト教の教育を受けて育ち ましたもので、聖書に「得くる よりも与うる生活の喜び」とい う言葉があって、そういうこと を実行したいというふうに思い まして、登録して骨髄液を提供 した訳ですけれども、実際、5 日間の入院とか、その前の家族 の説得とかそういう段階で、本 当にいろんなことを考えること が出来たんですね。私自身のこ とですとか、医療てすごいなと か、そういう本当にいろんんな ことを考える機会があって、本 当に得くるよりも与うると思っ て、与えようと思ってやったこ となんですけれども、実際は、 私の方がいろんなものをいただ いたというか、なんか変なんで すけれど、すごく感謝しており ます。 大谷   こころの満足っていう感じで すか? いろんなものをいただ いたというのは。 提供者9(女)   そうですね。本当に、危険も あったかもしれないんですけれ ど、私は全然恐くもなんともな かったのですから、家族にも心 配とか迷惑とかとてもかけてし まったのですけれども、本当に 得るものが多くて、とてもやっ てよかったというふうに思って おります。 大谷   はい、他にどなたかいらっし ゃいますか? こころの変化と いうことで。どなたかいらっし ゃいますか? はい、一番右側 のかたお願いいたします。 提供者10(男)   僕は、患者さんから手紙をい ただきました。もちろん匿名の 手紙だったんですけれど、内容 も、あまりはっきり、プライバ シーの問題があるのでお話でき ないのですけれども、大体の内 容ですが、生きるチャンスを与 えてくれた優しさに感謝します という内容でした。やっぱり非 常に感動しましたし、嬉しかっ たですね。いままでもらった手 紙の中で一番嬉しかったですね。 彼女からもらった手紙なんかよ り、嬉しいですね。 大谷   どうやってフォローしたらい いのか、分かりませんが・・ 提供者10(男)   実は僕は1年半、ネクタイも してませんが、医者をやってる んですけども、患者さんに感謝 の言葉をもらったり、手紙をも らったりするよりも、と同じか、 それ以上のちょっと違った意味 の喜びがありました。 大谷   お医者さんになられて1年半 ということでしたけれども、自 分が直接助けた・・・という感 じが、ここにたくさんお医者さ んがいらっしゃるかもしれませ んが、そんな感じですか? 提供者10(男)   そうですね。まだ経験が浅い ですけれども、僕自身が医者と して本当に助けたという実感の ある患者さんは、やっぱりまだ いらっしゃらないから、そうい った意味では骨髄を提供した方 のほうが、助けてあげれたのか なという気がします。 大谷   もしかしたら、一番右方にい らっしゃる方が、すごいものを 得ながら、これからもっと幅を 持ったお医者さんになってくだ さる気がするのですけれども、 ぜひ頑張っていただきたいと思 います。いいご経験だったよう ですが、とてもバンク側として も嬉しいと思います。あと、何 かございますか。 提供者4(男)   僕は、その時、苦痛もなかっ たし、兄弟や両親の反対もなか ったもんで、わりと簡単に終わ ってしまって、終わってからじ わっと、だんだんとこれはちょ っと大きなことかもしれないな、 と後になってから実感してきた ような所があるわけです。僕は 登録してから合いそうな患者さ んがいるから調べるということ が2回もありまして、3回目に やっと合ったということで、他 の方もそんなもんだろうと思っ て、登録すると、3年目や4年 目に提供する機会が必ず巡って くるようなものだと思っていた ら、最近ちょっとデータ見まし たら、それどころではないんで、 今の所200人に一人くらいの チャンスなんですね。そういう とかえって非常になんか幸運に 巡り会ったような気がしている のです。僕は患者さんから手紙 は特にいただいていないですし、 僕の提供した血液で患者さんが 回復されたのかどうかというこ ともしっておりません。システ ムとしてそうなっているわけで すけど、僕はそれがかえってそ れがボランティアということの、 こういう言い方、軽い言い方に なりますけど、おもしろさでは ないかと思います。たとえば、 例えですけれどもアフリカの子 供達に文房具を送ろうみたいな ことですね。だれが使っている のかな、とちょっとぞくぞくす る訳ですね。それが目に見える 恋人とか家族にプレゼントする のと違うおもしろさですので、 今度は学用品ではなく、自分の 血液ですので、相当ぞくぞくす るわけなんで、おもしろい経験 をさせてもらったな、と、あの 患者さんは大変な苦労をされて いるわけですから、ちょっと言 い方は軽すぎるのかもわからな いけども、われわれ骨髄を提供 させていただいた側からいうと、 受けている苦痛はそれほどのも のでもないわけで、非常におも しろい経験をさせていただいた なという感じが正直言ってあり ますね。その方がもし元気にな っていらっしゃっての話ですけ れども、この日本のどこかにで すね、僕の血が入って闘ってい る、その・・・・ 大谷   血液型も変わっているかもし れませんね。 提供者4(男)   そうですね。どっかに歩いて いるわけで、そういう方が一人 いるというのがすごくおもしろ い。それも、自分が希望すれば、 必ずそうなるんじゃなくて、登 録しておいたら幸いにも当たっ て、そういう経験を得たので、 僕は人生において一つ非常にお もしろい経験をしたなという、 そういうふうに思っています。 大谷   すごいですね。ありがとうご ざいます。本当はもっとずっと 聞いていたのですが、あとで、 またマイクをお回し致しますの で、今日、骨髄移植に携わって いらっしゃる医療チームの方々 もお招きもうしあげております。 採取医の先生、そして骨髄を移 植される、まあ移植医と採取医 はほとんど一緒なんですけれど も、あと患者さんと提供者とを 仲介されるコーディネーターの 方、そして、私たちに取って一 番近い存在の看護婦さん。こち らでお願いしております。6人 のかたいらっしゃってますでし ょうか。どうぞ壇上にお上がり 下さい。実は一番打ち合わせが 出来ていないのが、この方々で して、お初にお目にかかります という方ばかりですけれど、ど うぞよろしくお願いいたします。 名前と移植医、採取医くらいは 確認して置けばよかったと準備 不足の私は後悔をしております。 どうぞお座り下さい。ええ、男 性女性くらいは分かりますので、 ということは、男性3人が移植 医、採取医ですね。まず、移植 医の立場から今日はおいでいた きました先生、ちょっと目で合 図していただけますか。  ああ、失礼いたしました。こん なに一生懸命骨髄バンク運動を していながら、先生のお顔を存 じ上げませんで、失礼致しまし た。   いま、この10人の方が、提 供者や患者さんからの立場でお 話していただきましたけれど、 移植をされる立場、大変だと思 うのですね。私なんかたいへん わがままきわまりない患者だっ たのですけれども、移植をされ る苦労と、そして喜びなどを、 ほんの数分ですけれども、少し づつお二方にお話していただけ ますでしょうか?  移植医1   先ほど患者さんがお話なさっ ていたことなのですけれども、 移植医としては、何度も経験す ることなのですけれども、やっ ぱり一番嬉しいと言うときは、 骨髄液が患者さんの体内に滴下 されていくことですね。それは、 何度も経験しているのですけれ ども、感動を覚えますね。 大谷   先生で感動を覚えられると言 うことは、やっぱり患者さんは、 いまこの方が代表して言って下 さいましたけれども、すごい喜 びなんですね。それはまさしく 提供者がいらっしゃるからとい うことで、では、お願いいたし ます。 移植医2   喜びと言うのは患者さんが元 気になられて退院されてるとい うことで、私は悲しみの方を言 わせていただきますと、ドナー が決まりまして、私どもの所で は、かなり待っていただかなく てはいけない、5カ月か6カ月 くらい待っていただかなくては いけない。 大谷  ドナーが決まるまでですか? 移植医2   ドナーが決まってから待って いただかなくてはいけない。そ の間に年間1人〜2人移植が受 けられなくなる・・・ 大谷   つまり、提供者がやっと見つ かったのに、移植を待っている 間に亡くなる方が、年間一人か 二人いらっしゃるのですか? 移植医2   うまく再導入されて、移植が 受けられればいいのですが、受 けるチャンスをなくされる方が 出てくると言うのが一番悲しい。 大谷   その問題点は何処にあるので しょうか? 移植医2   それは、スタッフの問題でし ょうし、移植施設の問題だろう と思います。もう少し増やして 欲しいと思います。 大谷   施設が足りない・・・ 移植 施設さえあればいいという問題 でもないと思いますが、少なく とも今目の前に施設が足りない ということは、大きな問題です か? 移植医2  そうですね。 大谷  どうすればいいのでしょうか? 移植医2   私の力を越えたところですの で、財団の方からやっていただ けるとありがたい。 大谷   骨髄バンク側としては、移植 施設を増やす為の問題点をこれ から解決していきたいと思いま す。ええ、そのお隣にいらっし ゃる方は、採取医のお立場から の発言をお願いしている先生だ と思います。骨髄を採取される ということは、兄弟間で提供し てもらえる場合でも気を使われ ると思いますが、ましてや、非 血縁、他人のために骨髄液を提 供してくださる方を、骨髄バン クから仲介して採取していただ くわけですが、まあ、麻酔をか けたり、骨髄を採取すること、 ものすごく神経を使われること だと思うのですけれど、そう言 ったご苦労などをお話いただけ るでしょうか? 採取医   まず、いろいろ問題があるの ですけれど、先ほどから2年も またれているという話を聞いて いますと、やはりいついつに採 取をして欲しいとなったら、一 つは病院側の受け入れをしっか りしておかないと、たとえば血 縁の方ですと、こっちで勝手に スケジュールを立てて、この日 に採取というのが出来るのです けれど、非血縁ですと、突然で はないのですけれど、ある程度 時期的には非常に不規則な、ま ず病院にそういうことを理解し ていただいといて、この日にと ってくれないかという時に、な るだけ、希望に添えるような、 システムを作っておかないと一 ついけないということで、病院 の上の人にも、苦労していただ いて、なるべく希望通りに採取 しようと、いうことで、まず病 院のシステムを作っていくのが、 まず最初のことであって、それ から、次は、やはり健康な方で すから、安全に終わったあとも すぐ仕事に復帰できるようなこ とを考えてあげないといけない ということで、一つは麻酔と、 僕は麻酔科と、僕は内科医者な のですけれど、一番のキーポイ ントを持っているのは麻酔科の 先生ですので、その先生と非常 にコンタクトをとって、術前に もこういう危険性はないかとを 常に話して、それから麻酔時間 を出来るだけ少なくするような ことを考えていただいて、非常 に安全にやるということがまず 一つ、それから、終わったあと、 すぐ社会復帰されるわけですか ら、なるべく負担のないように、 僕の所ではなるべく術前に多く の自己血をとって、手術したあ とも、そう貧血が来ないような なるべくたくさん採血をさせて いただいて、手術の時に終わっ たあとに貧血に苦しむことのな いように、ちょっとそういう術 前にはそういう負担をかけます けども、なるべく手術が終わっ た後に、すぐに社会復帰できる よなことをかんがえております。 それから、もう一つですけど、 あの僕大阪ですから、少ししゃ べりますけど、やはり終わった 後も非常にフォローアップが大 事だと思うのです。このまえ骨 髄バンクからフォローアップの ことがかなり詳しくされるよう になりまして、実際僕らが来ら れた方から聞いているよりも、 かなり不満があるようなので、 そういうところはもっといろい ろ正直に言っていただいて、こ ちらが直せるところはもっと直 していきたいというふうに思っ ています。 大谷   はい、ありがとうございます。 ということは、骨髄バンクから 提供していただくときには、と にかく安全性を第一に確保して いただいているということで、 私たちは安心してよろしいんで すね。 採取医  はい 大谷   お力強いお言葉をありがとう ございました。では、お隣にい らっしゃる方は、どのような立 場で、ええ、看護婦さんですか ? コーディネーターですか?  どちらかでお願いしているは ずですが・・ 看護婦A  看護婦です。 大谷   たいへん失礼致しました。そ して看護婦さんでもお二方にお 願いしてありますけれども、お 一方は、患者さん側の、骨髄移 植の集中治療室にいらっしゃる 看護婦さんにお願いしてあるの ですが、そちらの方ですか。   患者さんが移植を受けられる 場合、本当にわがままな患者さ んがいっぱいいるとおもうので すけれども、中には頑張ってい る患者もいっぱいいると思いま す。そういった患者さんを見て こられて、移植の大切さ、大変 さ、両方とも少しお話していた だけるとありがたいのですが。 看護婦A   先ほどからお話を聞いていて、 本当に胸がつまる思いです。集 中治療室の中に私たちの病院は 無菌室を持っておりますので、 そこで、移植前1週間と移植後 の約3週間、患者さんは過ごさ れるのですけれども、一番大変 な、本当に移植前1週間と、移 植後の3週間はその人の人生で、 これほどの苦痛はないという苦 痛を感じて、回復への喜びは持 っているでしょうけれども大変 な苦痛を感じながらの治療を受 けられるわけですけれども、い つも私が思うのは、どんなとき にも打ち勝っていく力を持って いるということです。私たちは 患者さんは弱いと思って、なか なか本当のことを伝えなかった りとかいうこともありますけれ ども、本当に打ち勝つ力は患者 さんが持っているし、その力に いつも頭が下がる思いです。で すから、私が一番気をつけてい ることは、出来るだけ話し合っ て、本当に持っている力を患者 さん自身が発揮していけるよう に、どうやったら支えていける かな、ということをいつも考え ながら、毎回毎回世話をしてい ますし、そういうなかでも、い つもそれぞれの人から学ぶとこ ろが多いという毎日で、本当に 私たちの方が感謝しているとい うか、そういうことです。 大谷   そうですか、ありがとうござ います。ええ、私自身のことに なりますが、移植している最中、 折角移植を受けることができた という喜びがある反面、辛すぎ て、このまま死なせてと言った ことが、正直言ってあります。 告白するとあります。それでも、 逆にいま、そういうふうにおっ しゃってくださいましたけれど も、私はまた、看護婦さんから 励ましてもらったのですね。折 角素晴らしいチャンスをもらっ たのだから、ここで自ら命を絶 ってどうするの、と言われまし た。もちろん、命を絶つつもり はないのですけれど、それほど 辛い治療の時に、そばにいて下 さる看護婦さんが本当にこころ の支えです。そういうふうに思 って下さって看護に当たって下 さっていることに、こころから 敬意を表したいと思います。あ りがとうございます。   そのお隣の方は・・・提供者 の方のケアのご経験がある、提 供される方は患者でない患者な んですね、理解していただけま すでしょうか。健康な方が入院 されるわけですから、一度も病 気になったことがない、変な日 本語ですけれども、とにかく初 めて病院の門をくぐられるわけ です。そして、まな板の上の鯉 になっていくわけですね。お医 者さんや看護婦さんは、もうど もどきしながら、提供者の方の 健康を気を使っておられると思 います。その一番身近にいらし ゃる提供者の看護をしておられ る看護婦さんの代表で、そのご 苦労などをお話していただける とありがたいのですが。 看護婦B   提供者の方というのは、本当 に前日まで仕事をされてたりだ とか、あとは入院の直前まで事 務的な処理をしてきましたとい う方がほとんどで、入院した経 験は全くありませんという方が ほとんどですので、一番の不安 というのは、もちろん手術、麻 酔のことですけれども、退院し た後に、今まで通りの仕事が出 来るかということが、かなり不 安になっているように思います。   看護婦としては、一応、退院 してからの生活について、一番 気をつけていただきたいことだ とか、いままで提供者の方がど ういうふうな術後を迎えて退院 して行ったかということを具体 的にお話することによって、少 しでも不安を取り除けたらとい うふうに思っております。 大谷   むしろ感動することも多いの ではないですか、見ず知らずの 方にご提供して下さる方が目の 前にいらっしゃるという、なに かそういうエピソードは、感動 のエピソードはございますか? 看護婦B   自分の子供さんが骨髄移植を 受けられて、よくなったので、 今度はなにかお返しをしたいと いうことで、お父さんの方が、 バンクに登録されて、HLAが 合ったということで、入院され た方がいらっしゃったのですが、 お話をいろいろ聞いてみると、 本当にこちらが頭が下がる思い で、私たちも感謝しております し、本当にいろいろ教えられる ことがたくさんあります。 大谷   ありがとうございます。   そして、一番最後の方は、コ ーディネーターというお役目で おすわりいただいていると思い ますが、少しご説明致しますと、 コーディネーターというのは簡 単にいいますとお見合いをした ときのお仲人役さんみたいな感 じですね。提供者と患者さんと を結び付けたり、骨髄バンクと の連携を取ったりと、本当にい ろんな事務処理から、精神的な 面から本当にいろいろと私たち に教えていただく立場の方です けれども、きっと提供者への方 々への感謝の気持ちを持ってあ たっていただいていると思うの ですが、そのなかで、いままで お仕事をついておられて、とて も感動されたことからお話いた だけますでしょうか。 コーディネーター   いまのご説明のとおり、患者 さんがいらっしゃって、提供者 のかたがいらっしゃって、コー ディネートの仕事というのは、 全くの裏方ですので、こういう 所に出てくるということ自体も、 もなにか面はゆい感じがするの ですけれども、それぞれの提供 者の方いらっしゃって、特にと  いうのをご紹介するのも難しい のですが、やっぱり1次検査、 2次検査、3次検査、そして最 終同意、健康診断、自己血採血、 いよいよご提供ということにな るのですが、手術室から出てこ られたドナーの方とお目にかか ると、本当に胸が一杯になりま す。なにも知らん顔されてたら、 こんな目にあわなくて、という のは語弊があると思うんですけ ども、やはり手術室から点滴を 管をさされて、酸素マスクをさ れて出て来られるわけですよね。 本当にその行為自体が、そこま でにたどりつく道筋を存じ上げ ているだけに、胸が一杯になり ます。勿論提供して下さったか た、勿論なんですが、それまで に沢山の方が検査を受けて下さ ってます、で、検査の段階で患 者さんとぴったり一致しなかっ たので、ということで、残念な がらご提供には結びついていな いのですけれども、そういった たくさんのかたもいらっしゃい ますので、そういった方達の善 意にも本当に頭が下がる毎日で す。 大谷   ありがとうございます。10 万人の骨髄バンクへの登録者を  目指そうと思うのなら100万 人の理解者が必要で、1000 万人の方が骨髄バンクという名 前を知っていなければいけない という名言を教えてくださった 方がいるんですけれども、いま まさにコーディネーターの方が いってくださったように、その 方の廻りを支える人がいっぱい いたわけですね。そして一人、 一人の命に結びついていく、本 当に一人だけが助けるのではな く、社会全体が助ける骨髄バン ク事業、本当にそういう話を聞 いていますと、本当に感動致し ますし、そんな中に、私も少し でも関与出来たことを、やはり 私もいろんなことを学んで、自 分が学ぶことによって感謝が出 てくる今日この頃ではあります。 それぞれのお立場で先生方にお 話をいただきました。残り少な い時間になって参りましたので、 後ろに並んでおられる10人の 方に、一言ずつお願いします。 提供者10(男)   骨髄移植は100%の治療で はありません。でも、生きるチ ャンスを与えてあげることがで きます。飛行機より恐くありま せんから、頑張って登録できる 人は登録してみてはどうでしょ うか。 提供者9(女)   私は登録してから2次検査の 連絡が来るまでに2年間あって、 私も本当に首を長くして待って おりまして、連絡が来たときに は本当に嬉しかったのが、本当 に合う人がいるというのが、一 番嬉しかったのです。本当に案 ずるより生むが易しというと、 ちょっと違うと思うのですが、 全然簡単なことなので、一人で も多くの方が登録してくだされ ば、嬉しいと思います。 提供者8(女)   私の場合も2年待ったのです けど、どちらかというと、私の 場合は2年忘れていて、いきな り3次検査の通知が来たとき、 ああどうしようとそこであわて た組なのですけれども、その時 にいろんな方に相談したときに、 そんな訳のわからんもんにとか、 やめときみたいな意見が多かっ たというのが実際なんですね。 登録していただくのももちろん ありがたいのですが、登録され ないまでも、人がなにかをしよ うというのを、マイナスに作用 なさったりしないで、もし分か らないのであれば、それをもっ と調べて、調べた結果、結論を 出していただきたいと思います。 訳分からへんからやめときとい うことだけはやめていただきた いなと思います。 提供者7(女)   そうですね。なに言おうか、 考えていませんでしたので・・ ・。あの、思ったより簡単なこ とですし、私は子供が二人いる のですが、お産よりもぐっと楽 ですし、そうですね、いまそれ こそよくなられた方をみて、血 液型が変わったと言われて、性 格も変わっていただきたいなと いう、それぐらいこれからすご く希望に満ちた生活が出来るの ではないかと思いますので、私 もいろんなお友達にお話してか ら、脊髄から取るのでしょうと か、というすごく誤解されてい るようなことがあるのですね。 だから、いやそんなことはない ということを、一人の力では僅 かですけれども、誤解を解きな がら、一人でもたくさん登録し てもらって、一人でもたくさん 合う方ができたらと、微力です けれど、声をかけていますので、 みんなで協力していったら10 万人すぐじゃないでしょうか。 患者6(男)   僕は、沢山の人に気持ちで支 えられて、こうやっているよう な感じなんですけれども、入院 している間も、移植を受ける前 も献血で助けてもらいましたし、 両親にもすごい心配をかけまし た。友人にも励まされましたし、 多くの人たちに助けてもらいま した。輸血をしている間もみん な優しくしてくれたのですけれ ど、入院している間は、本当に 先が見えないのです。その時に 骨髄バンクというものがあって、 それがあるというだけで光にみ えるのです。それで、その光が 登録者が増えるということで、 どんどん大きくなると思うので すよ。だからこれからも登録し てくれる人がどんどん増えれば と思います。 患者5(男)   短時間で申し上げるのは難し いのですが、便利な世の中にな りましてお金を出せば何でも手 にはいる、そうした時代のなか で、まさに人が手作りでもって 人の命を、新しい命を送るチャ ンスがあるというのが、本当に 素晴らしいシステムであり、素 晴らしい方々だなと、本当にこ ころから感謝を申し上げたいと 思います。本当に生まれ変わっ た思いで、今までの人生振り返 りまして、それよりももっと濃 厚な、本当に輝いた人生をこれ から歩ませていただきたいと思 っております。また、私の知り 合いの患者も、多く、今又提供 を待っております。本当にそう いう意味では現在進行形の財団 が行っております事業を推進で きますようにまたご協力いただ けると本当に幸いに思います。 どうもありがとうございました。 提供者4(男)   提供させていただいた側から ですが、私も登録者の数が早く 増えて、患者さんが原則として ちゃんと自分に合う方が見つか るというふうに早くなって欲し いと思います。ところで登録し てみようなかとか、情報をもっ ていらっしゃって、やる気があ るんだけど、なんとなくきっか けが掴めなくてという人が、お そらく相当数世の中におられる んじゃないかと思うんです。何 故かと言うと、何日までやらな きゃいけないということがない。 もし、締切を作りまして、何日 までで締切ますよというと、ず っとくるのじゃないかとい気が するわけです。もちろん、そん なことはないので、なんとなく きっかけがなくて迷っていると いう方がたくさんいらっしゃる と思うのですね。僕も一時期そ うだったのですけども、お正月 に思いきってやったんです。ま あ、人生の細かい一つの節目に なりますので、その時に思いき ってアイバンクも腎バンクもい っぺんにやったんですけれども、 そういうきっかけを自分で作っ て登録するのもいいかなと思い ました。 患者3(女)   今、ここに座って、移植して 元気になった人ばかりじゃなく て、同じ病棟の人でも、移植を してなくなっていった方も、い っぱい私自分で見てきましたし、 移植をして必ず助かるというわ けではないのですが、移植をし ないでなくなっていく方よりは、 移植をして一生懸命自分で病気 と闘っていって、なくなってい った人の方が、その人達の方が 幸せだと思うのですよ。だから、 私も、さっき話したんですけど、 足がちょっと悪くていまも、お もいっきり走ったりとか、スポ ーツが出来ないんですけれども、 そんなスポーツが出来ないとい うことで悲しむんじゃなくて、 生きているということだけで、 本当に幸せだと思うんですよ。 だから、これからも私は一生懸 命生きていきたいと思うし、骨 髄バンクの方でも、一生懸命な にかできることがあったら、働 きたいと思うので、皆さんも骨 髄バンクのことを、もっと知っ てもらえると私は嬉しいと思っ ています。 患者2(男)   やはり提供して下さった提供 して下さった方に感謝の気持ち を伝えたいのと、骨髄バンクの 運動に携わってくれている全て の方に、患者として感謝の気持  ちを伝えたいと思います。なに よりも、私の場合、提供して下 さって第2の人生を出発できる 人は、喜びがあると思うのです が、一番苦しくて辛いのは、患 者さんのなかで、まだドナーが 見つかっていない人が一番、私 の経験からも一番苦しいと思う ので、提供者の数を増やしてい くことが、一番の目標だと思う ので、先程どなたかが言われて いましたが、受けるよりも与え る方が幸いであるという、そう いう言葉をこころに命じて、一 人一人の力は微力なんですが、 助け合っていかなければいけな いと思っております。 患者1(男)   僕は、自分が病気になるまで 骨髄バンクとか、骨髄移植のこ と自体も知らなかったのですけ れど、そんな僕が、なにもせず に病気になって骨髄をもらえる ことができて、本当に心の中で は少々申し訳ないと思っている のですけれど、本当に世の中で は病気で苦しんでいる人がたく さんいるんで、皆さんの協力が これからもいるのでしょうけれ ど、僕がここにこうしていられ るのは骨髄バンクに携わってい ただいた皆さんのおかげですの で、本当にどうもありがとうご ざいました。 大谷   どうもありがとうございまし た。本当ならもっと長い時間い ろんなお話を伺いたんですけれ ども、次は骨髄バンクをますま す広げるために、第3部はアジ ア各国から先生方をお招きいた しまして、また新なる展開に向 けてお話し合いを求めていきた いと思います。今日、まず足を お運びいただきました方に心よ り感謝し、そして今日このフロ アに勇気をもって上がって下さ いました提供者の方々、なによ りも勇気をもって提供して下さ った行為そのもの、そして今日 フロアに上がって下さった方々、 そして元気になった患者さん、 本当にありがとうございました。 そして医療に携わる皆様ありが とうございました。   つたない司会ではございまし たけれども、私自身が感動して しまい、なかなかコメントを述 べることができませんでした。 でも、もういう素晴らしい機会 を与えて下さったことに、私自 身も感謝致したいと思います。 本当にどうもありがとうござい ました。     第2部終了 第3部  第3部は、アジアオセアニア地区で骨髄移植や骨髄バンクを積極的に進めている医師、及び日本骨髄バンクに尽力している先生から、自国の骨骨髄バンクの現状が報告されました。  参加されたは国、中国、香港、インドネシア、韓国、マレーシア、台湾、タイ、オーストラリア。 初めにオーストラリアの医師から、骨髄バンクの現状が話されました。 オーストラリアの骨髄バンクは、赤十字の監督のもと、資金的は連邦政府50%、州から50%。ドナー登録は3年前から開始され、最初の提供は2年前に行われた。HLA−ABのクラスTのタイピングが済んだ登録者が68192人。HLAのDRタイプ済みのドナーは約2割。登録者数の目標は10万人だそうです。実際に移植を受けられた患者さんで、1991年では海外からの提供が国内の2倍だったが、1994年には逆転して、ほとんどが国内のドナーによるものになった。現在、非血縁による骨髄移植は70症例、昨年度だけで26症例行われた。  香港の医師からは、最近の香港の人々の都市型人間(他人事には無関心)気質のため、骨髄バンク登録者数確保に当初非常に懸念をしていたが、予想に反して短期間で1万7千人のボランティアの方の登録をすることができたということ、また香港ではドナーが自らのHLA検査のための費用まで負担しているということで、骨髄移植は、現代医学の進歩の結果だが、もっと重要なのは、人間同志の思いやりということではないかと訴えていました。  次に台湾の医師からは資金的な支援は、仏教会によって支えられており、設立は昨年だが、既に6万の登録がなされていること。キャンペーンを展開して各都市で、 それぞれの平均約2000人の登録ドナーを確保することが出来た。  現時点で246のドナー検索の要求があり、国内では192人で54人は諸外国だそうです。  75人の患者がHLA適合のドナーが見つかり、実際に骨髄移植を行ったのは6症例であります。6例のうち2例は台湾以外の国だそうです。  韓国からは今年骨髄バンクが設立されたばかりであること、現時点でのドナー数は3000を越え、来年度には7000人を目標としていることが報告されました。  中国からは、ドナー登録は開始されたが、まだ2000しか得られていないということ。その理由の一つは財政的な支援がまだ充分ではないということ、また医師も、非血縁の骨髄移植を始めていないという現状が報告されました。  しかし、現在、一人見つかっており、移植が成功すれば、一大キャンペーンをはって盛り上げたいといっていました。  シンガポールに関しては、85年にスタートしたが、93年になって初めてドナー登録を始めた現状が報告され、現在登録数は7000人くらいで、毎月500人のペースで登録が進んでいること。 来年95年末までには、何とか15000人の登録者を目標としている。しかし、現在の所、民間による運営なので、政府からの支援を受け、それを大きなきっかけとして発展していきたいと思っていることが報告されました。  マレーシアでは、骨髄移植の歴史が浅いことと、合計5床しかない無菌室がネックになっていることが報告され、まず、ハードの面からの整備が必要であることが報告されました。  また、日本骨髄バンクからは、十字猛夫中央赤十字血液センター所長が、アジア、オセアニアの骨髄バンク連携の必要性、有用性を人種の分布の点から説明されました。また、小寺良尚名古屋第一赤十字病院内科部長からは、日本骨髄バンクの課題、直前に開かれたアジアオセアニアの骨髄バンク関係者による会議で、バンク間の交流を具体的に検討していくことが決定されたことが報告されました。概要を掲載致します。 中央赤十字血液センター            十字猛夫  HLAは民族ごとに特徴があり、たとえばA1B8DR3は白人に特有なデータで日本人にはほとんどありません。HLAのタイプは親から子に受け継がれていくわけですが、少なくともこのタイプは数千年くらいあまり変わらない。ところが、白人と東洋人が別れたのは10万年とか十数万年とかいわれていますが、それくらい時間が経ちますと、このAとBとDRの組み合わせが変わってきます。そのため、近い組み合わせだと見つけ易いということになります。 ここに日本人でいちばん頻度の高いものから順番に並べておりますが、A24B52DR15といのが最も多いものですが、こういうものを持っている方は、ドナーが見つかり易いということになります。こういうことをベースにしまして例えば、中国の患者さんに、日本人のドナーバンクかドナーが見つかるかどうかということは、このハプロタイプ(HLAの型)の頻度から計算が出来るわけでございます。  たとえば、近くの人たち民族と比べてみますと、日本人の祖先の一部であります弥生人は数千年前に、2〜3千年前に朝鮮半島から来たのが弥生文化人ということになっておりまして、日本人と韓国人では、大体40%くらい同じものを持っているということが分かってきました。多分、弥生人が朝鮮半島を渡ってきた人たちの子孫ということが関係しているのかもしれませんが、逆にこの様なバンクをしていますと、人種の流れがきれいに分かってきます。そこで、たとえば日本人に一番多いA24B52DR15というのは、韓国人でも5番目に多いタイプになっております。それから韓国人でいちばん多いタイプのA33B44DR13というのは日本人では2番目に多いタイプとなっております。そういうふうに比べてみますと、日本人と韓国人は非常ににており、こういうことで人種の近さ、親戚関係の近さが分かると同時にお互いにドナーを分配しあえば、もう少しうまくドナーが捜せるという可能性が出てくるわけです。そして、北部中国人、タイ人ですが、日本人とタイ人とはあまりわかち合うものはないのですが、タイ人で2番目に多いA33B44DR7というのは、韓国人にもあり、これは日本人ではほとんどいないということです。国ごとに比較していきますと、多分同じタイプを持っている国民というのは、一部先祖を共有しているということになるわけでございます。  私ども中央骨髄データセンターに各国のタイプを入力してみまして合った人がどれくらいいるかということを調べてみますと、日本人のドナープール、今、DRまでいれますと、31224人のドナーで、例えばアフリカ人、黒人の人が1169人入力してみますと、0.1%しか合う人がいない。アジア人の方が近縁関係がありまして見つけ易いということです。今日の話題でございます、アジアがバンクを共有すれば、より的確に見つかってくることが有り得るというデータです。韓国人259人、日本人バンクと照合しますと、日本人では62%にABDR一致のドナーが見つかるのに対し、韓国人では25%しかない。タイ人では5.8%となっております。  また今までの血清学的なレベルで決められましたHLA抗原は、時間が経ちますと、いろいろ違ったタイプ(変異型)が出てきまして、現在、HLAのA11も2つ、A26も3つに別れて来ておりまして、特にDRは、細かく分けると100種類位になりますので、いま合ったほどは合わない可能性がもうちょっと細かくなってくるとあるかもしれません。  こういうことで、これから進みますと、日本人では非常に見つけにくい方が逆に中国のバンクなどで見つかるということがありうるだろう、ですから、日本人を構成してますのは、例えば中国から来られた、大昔、少数来られた方が日本人として生活している方もいらっしゃるわけでありますので、全体のドナーサイズを大きくすることによって、見つけにくい患者さんが、ドナーバンクの交流が可能になれば、見つけることが可能になるのではないかということです。どうもありがとうございました。 財団中央調整委員長            小寺良尚  200人の方の検索の開始から移植まで約1年かかっていますが、その内、HLAの適合した提供者が見つかる期間が約100日。早い人は4日で見つかっている、しかし、待っている人はいつまで経っても見つからな。見つからない人の一番の問題はHLAですが、わが国のバンクで見つからなくても、そういった人たちが海の向こうには適合する人がいるかもしれない、というそういったシステムが出来ることは素晴らしいことで、今日の午後、アジアの先生方と話し合いをしまして、日本骨髄バンクの中の国際問題小委員会を窓口にして、各国のバンクと情報を交換し、なるべく近い将来骨髄の国際交流を可能にしていこうということで、みなさんの合意を得たところです。以上ご報告いたします。 第3部終了・全日程終了 *****************************  以上、骨髄バンク推進全国大会 の報告を致しました。  全体的な流れとしては、こんなものでしょうが、いくらお偉いさんの文章でも、代読がこれだけ続くと、少しうんざりします。  これも、お役所的財団の宿命なのでしょうか? その文章も本人がちゃんと書いたものであればいいですがね。来年の全国大会では、この部分もぜひ「改革」してもらいたいものです。全国大会は、単なるセレモニーではなく、日本国民に対するメッセージなので、もっと有効に使ってもらいたいものです。今回も、第2部をもっと長くして欲しかったですね。(北) 第17回日本骨髄移植研究会開催 特別講演  骨髄バンクよりの報告1  非血縁者間骨髄移植の成績が、岡山大学・原田実根氏から発表された。12月12日現在の274症例中、171例で検討。急性GVHDは、0が26.6%、I度が17.2%、U度が25.8%、V度が11.9%、W度が7%、全体で73%(U〜Wが44%、V〜Wが17%) GVHDの発症は移植後11〜15日目がピークだが、6〜10日目にも多い。血縁間に比較して早い傾向がある。5日以内に起こっている?と主治医が報告しているケースもあり、詳しく調べることが必要。最初の50例まではV〜Wの重症急性GVHDが多かったのが、最近の症例では減ってきている。これは、GVHD予防を強力にするようになったためだろうと思われる。慢性GVHDに関しては150日以上生存例101例中47例。ほとんどが急性GVHDから移行したもの。171例中69例が死亡。8例が生着不全、50日以内に死亡しているのが、23例、51〜100日に死亡しているのが26例、101〜200日が15例、201〜300日が4例、301日以上が1例となっている。予想される生存率は慢性骨髄性白血病で約65%、急性骨髄性白血病で約60%、急性リンパ性白血病で約50%、重症再生不良性貧血で60%と期待できる成績が得られつつある。6カ月以上生存している患者65名のカルノフスキースコア(KS・別表参照))は100が31例(45%)、90が18例(28%)、80が3例(7%)、70が2例(3%)、60が3例(7%)、50が7例(11%)、40が1例(2%)となっている。 骨髄データセンターの現況  赤座達也    中央骨髄データセンター  現在月100人の割合で患者登録がされている。一致ドナーは、患者のHLA、体重、血液型、居住地域を目安に選定される。あまり体重差がありすぎると、骨髄採取量が多くなるため、患者体重の00%以上と決められている。ドKS(Karnofsky performance          status score) 全体像        指数  特異的基準 正常活動が行える 100  正常、訴えなし                病気の症状なし 特別な介護は不要   90  正常活動が行える                病気の症状が少しある            80  努力すれば正常活動が                行える。病気の症状が                見られる 仕事は出来ないが   70  自分の用は足せるが、 家庭生活はできる       仕事をしたり正常活動                はできない。 自分の用はほとんど  60  ときに他人の介助が必足せるが、いろいろ      要であるが、ほとんどな程度の介助が必要      の用は足せる。            50  他人の介助が必要で、               医療的介護も必要 自分の用が足せない  40  特別な介護介助が必要 入所・入院生活が必  30  ハンディキャップが大要である。病気も悪      きく、入院が必要であ化しているかもしれ      るが、死期は迫っていない             ない。            20  重症である。入院し支               持療法を積極的に行う               必要がある。            10  死期が迫っている             0  死亡 ナーの体重は40〜60kgがピークなので、体重70Kgの患者は登録ドナーの60%しか検索できず、80kgの患者では30%のドナーの中でしか検索できない。3年間で約6万人のHLAをタイプしたが、数%の検査ミスがみられた。現時点では、かなり改善されたが、HLA検査の難しさというものがある。HLA検査の精度を高めるために、P.テラサキらが全世界の主要検査センター300に血液を送って、HLAをタイプ精度検査をおこなっているが、A1は100%、A25は90%、A34、A33は80%のセンターでタイプできるが、B75は50%と、タイピングしにくいものもある。また細かく分類すれば、一つのものが数十種類にわかれるものもあり、骨髄移植の成功のためには、どのような検査で、何処まで一致させれば、いいかということも分かっていない。それほどHLAは難しい。  今後の問題として 1。ドナー登録者受付体制の整備 2。情報量の増加への対策と検索 の迅速化 3。MLC検査からDNA検査へ の移行 4。HLA検査精度の向上 5。HLA適合検索法の検討  などが考えられる。 ワークショップV 骨髄バンク:コーシネーション  非血縁ドナーは、患者と直接利害関係のない健康成人である。骨髄のドネーションは自発的行為とはいえ、実現するには精神的、経済的、身体的負担を乗り越える必要がある。初期の125例の貴重なアンケート結果から、多くの課題が明らかになり、本年7月からの新マニュアルがスターとした。ドナーのアンケート結果と、安全性の向上を追求している新マニュアルのシステムについて述べる。アンケートは提供後半月〜1カ月後に郵送し回収した。回収率は100%であった。 骨髄提供の説明  充分 106 まあまあ 18 不十分  0 無回答   1 コーディネーターの対応  良い 112 まあまあ 12 悪い   1 無回答   0 麻酔の説明   充分 104 まあまあ 20 不十分  1 無回答   0 麻酔の不安   なし  53 少し   62 非常に  6 無回答   4 麻酔の苦痛   軽い  86 まあまあ 34 重い   4 無回答   1 採取部の痛み  軽い  61 まあまあ 43 重い  18 無回答   3 社会復帰   4日以内52 7日以内 94 一ヶ月以上3 無回答   4 提供後の不安  あり  31 なし   93  提供後不安の内容は、腰痛持続:前屈や労作時腰痛12採取部位のしこり・ひきつれ・疼痛3。注射部位のしこり、はれ、しびれ3。脱力感、易疲労感5。骨髄の違和感2。精神的不安、骨髄液が薄い、麻酔に対する不信2。などで提供後も長期間、合併症が続くことが明らかになった。硬膜外麻酔は2例に施された。1例は主治医と麻酔医の統一した説明が不足し、長期間ドナーの不安を招いた。コーディネーターの態度不良の原因は、約束時間の30分の遅刻と、ドナーの質問に対する楽観的回答であった。新マニュアルの改正点は@コーディネーター(養成中)による充分な情報提供、Aガイドラインによるドナー適格性(健康)判定の徹底、Bドナーフォローアップシステムによる採取前、採取直後、長期モニターなどである。  最終同意までにいたる段階で、どの段階で家族の同意が得られたかということで、138名中、初めから賛成が65名、途中から賛成が35名、最終同意の段階で、まだ反対だが、そんなにしたいのならというのが9名、最終段階に到っても、どちらともいえないというのが28名、無回答が1名であった。3/4は一週間以内に社会復帰していながら、痛みは2週間続いた人が多く、社会復帰しても痛みが続いているケースが多いということ、それと、正常の社会復帰するまでに70日以上続いたと答えた人がいて、今後慎重な調査を必要とする。 秋山祐一 京都大学小児科  中央調整委員会  ドナーフォローアップ小委員会  骨髄バンクにおけるドナーフォローアップの安全性確保とその確認は最も重要な問題の一つである。広く社会一般の理解と骨髄提供登録者の意志決定に深く関係する。日本骨髄バンクが設立され実際の非血縁者間骨髄移植が開始され、2年弱経過し230例以上の骨髄移植が実施されたが、ドナーフォローアップの立場から問題点を提起したい。  先に述べられているようにドナーとなるためには最終的に麻酔のリスクが上がらないための基準が厳しく設定されている。現在まで に重大な合併症は報告されていないが、コーディネーター(非医師)や、地区事務局が活動を始めるまでの最初の1年余りの間に自己血保存の徹底、及びドナーのQOL回復過程の把握にシステム上の問題が明らかになった。  ドナーに対するアンケート調査100例による集計では穿刺部位の痛みの持続が2週間以上と答えたドナーが15%見られ、日常生活に復帰するのに2週間以上要したと答えたドナーが9%見られている。このデータは米国のNMDPよりやや低い数字であるが、約10%のドナーにとって骨髄提供は決して楽なものではないことを示している。また、退院後貧血のため、約1週間職場復帰できなかった例も報告されている。  その他、義歯損傷、骨片可能(2週間後切開摘出)、一過性2段脈、嘔吐、嘔気、咽頭痛、肝機能障害、眼振/難聴(一過性)が報告されている。従来のマニュアルでは合併症の記載が項目別ではなかったために、記載の基準が不明確であり、ドナーによっては担当医師に適切な時期に相談されていない事例が見られ、コーディネーターにより、追跡調査、早期の再受診を可能にするために電話による追跡調査が新設された。 新マニュアルによる骨髄採取時の合併症(61例中) 1、血尿(膀胱カテーテル)    3% 2、80mmHg以下の低血圧   7% 3、心室性不整脈         3% 4、穿刺針の損傷       1.6% 骨髄採取後の合併症(61例中) @、38度以上の発熱      39% A、咽頭痛           36% B、排尿時痛           8% C、肝機能障害          5% D、穿刺部位の異常      1.6% E、採取翌日の歩行不可能   1.6% F、抗生物質の投与       90% G、鎮痛剤の投与        39% H、解熱剤の投与        28% I、鉄剤投与          28%  重大な合併症は見られないものの、上記記載したごとくドナーには少なからず肉体的負担があるにも関わらず、アンケート調査によれば骨髄提供に満足したと答えている人が84%、もう一度骨髄提供をしても良いと答えている人が79%存在している。 実例1 40才男性、75Kg。自分が健康体であると思っているために自己血保存を拒否していたが、医師の説得により400mlを保存した。毎日遅くまで仕事したし、日曜日にはボランティアとして活動していた。また直前に急な出張が続き、ほとんど休みをとれなかった。当日風邪気味で36.5℃の体温、採取量は1800mlとなった。採取後4日間は微熱が続き、歩行困難な状態。全身倦怠感著明。5日目に退院したが、6日目にも微熱があった。全身倦怠感で200mも歩けなかった。退院後も1週間は仕事にならなかった。3週間経ってやっと日常生活にもどった。 実例2 30才、女性、42Kg コーディネート上は問題なし。自己血保存は600mlし、920ml採取した。入院は5日間。採取直前はヘモグロビン量(Hb)10.9g/dl、採取翌日9.4g/dl。2週間後12.3g/dlとなった。回復までには鉄剤を投与した。復帰には2週間を要したが、そんな話は聞いていなかったと言われた。 実例3 40才、51Kg。20日前にHb9.4、7日前に400mlの自己血保存施行。鉄剤投与してHb10.7に回復。入院直前に過多月経を起こしていた。採取直前に400mlの輸血をして、補液にて血圧保持しながら1200ml採取した。 実例4 採取6週間前に白血球2500、骨髄検査をして骨髄異形成症候群と診断され、採取5週間まえに移植病院に採取中止を連絡した。その日は患者入院当日であった。 ドナーコーディネーター養成研修の実際と考察           渡辺 貞子  骨髄移植推進財団     関東地区調整委員会事務局  公平性、広域性を必要とする日本の骨髄バンクにおいて、その重要なドナーと接触し、円滑にコーディネートをするたの専任コーディネーターの必要性が高まっている。財団では当初から専任のドナーコーディネーターを養成し、調整活動を行いたいと望んでいたが、スタートの段階では即実働できる血液科等の医師に依頼せざるを得なかった。現在までにコーディネーターを養成するために3回の研修会が行われている。第1回、第2回研修会受講生の募集は財団の中央調整委員に依頼され、推薦を受けた方々が研修生となった。しかし、この方法では現職の医療従事者が多く、研修終了後の活動に無理があった。そのため、規定の実務実習を積んで、専任のコーディネーターとして認定されたのは、延べ121名中35名に留まっている。第3回研修会では、一般公募で受講生を募り、950名の応募者から書類選考、面接、電話インタビューなど、各地の運営委員会で可能な方法により、132名を選考した。本年6月に東京都大阪の2会場で、2日間の集中講義を受けた後、各地の運営委員会の下で、地区調整委員会事務局から実務実習を受けており、現在継続中である。認定を受けた35名中、11人が、各地の事務局での事務員として働いている。 ボランティア合宿      開催される  「骨髄バンクを支援する 愛知の会」による、合宿による研修会が去る平成7年1月7日・8日に犬山、入鹿池湖畔、入鹿荘で開催されました。そこで今後愛知の会として何を行っていくかという展望と、骨髄バンクに関する研修会が開かれました。(詳細後述) 全国骨髄バンク   推進連絡協議会  設立5周年記念  記念事業企画決定  全国骨髄バンク推進連絡協議会が設立されてから、5年が経過しました。その記念事業が名古屋で行われることになりました。大まかな企画が企画が決定されましたので、ご報告させていただきます。 編集後記  今回は、内容が盛りだくさんになり、また文章が多くなってしまいました。全国大会の内容と、同時期に行われた第17回骨髄移植研究会の内容を掲載したかったので、この様な形になりました。  骨髄移植研究会の内容は、骨髄バンクに関係している部分だけをピックアップして掲載しましたが、様々な問題点をはらんでいると思いますので、少しコメントを致したいと思います。  骨髄バンク:コーディネーションの項では、ドナーの安全性を向上させるために、様々な問題点をあからさまにして、自己反省をしております。なお、ここに記載された反省点をもとに、すでに様々なものの大部分が改正されていることを明言させていただきます。  採取後半月〜1カ月後に行われた125例の貴重なアンケート結果を反省点として、本年7月からの新マニュアルがスターとしました。これによると、骨髄提供の説明はまあまあ充分であるが、いくら麻酔の説明を充分にしても麻酔に対する不安は少し残り、その後の採取の痛みも「そこそこ」あるということ。また、社会復帰に1週間以上かかるひとが、少なからずいるということが分かりました。しかも、提供後の不安を訴えた人がかなりいることが分かりました。しかし、それでも次も骨髄提供をすると答えた方が8割近くもいました。このことから骨髄提供そのものは肉体的にはかなりのダメージを与え、決して「楽」にできるものではないが、精神的にはかなりのプラスをもたらすものであることが分かりました。  それらを反省点に、ドナー不適格条件の徹底(前号に詳細掲載)や、忙しい医師にかわり、ドナーのコーディネートを選任するコーディネーターが研修を終え、活躍するようになることにより、これらの問題の少しは解決するのではないでしょうか。しかし、それでも、完全ではありません。まだまだ努力が必要かと思います  実際の実例1〜4における反省点を述べてみましょう。  実例1は、自己血保存が足りず、というより、採取量が多すぎて、後にドナーに対する肉体的影響が出たということになります。  骨髄を採取するとき、骨髄移植を成功させるためには、充分の量の骨髄を採らなければ意味がありません。現在の日本骨髄バンクでは、骨髄の採取量及び、自己血準備量算定のガイドラインとして以下のように決めてあります。 @、骨髄採取量の上限   提供者体重(Kg)×20ml A、平均的骨髄採取量   患者体重(Kg)×15ml B、Aは@以内であることを確認。 C、移植病院の責任医師と協議の上、  @の上限量以内で採取量を決定。  注意:計画書提出時に患者体重がドナー体重の75%以内と判明した場合、地区の中央調整委員と協議、細胞濃度を上げるために1回の骨髄穿刺量を減らし、骨穿刺回数を増やすことなどを考慮する。  また、自己血準備量の目安は以下のように決められています。  ドナー体重(kg)×8mlが、ドナーに負担の少ない1回の採取量であり、この量が無輸血で対応できる骨髄採取量に匹敵します。 つまり、体重75kgのドナーは600mlの骨髄採取では、無輸血で施行できるということになります。採取量が少しでも多くということは、患者さんのことを思うといたしかたないことですが、採取病院ではドナーの安全のみを考えるべきで、たとえ充分な骨髄が採取できなくても、採取量を増やすことを考えずに、途中で諦める「勇気」と「決断」を持つべきでしょう。たとえ、それにより患者の移植が旨くいかなくても・・。  実例2では、骨髄採取量、自己血保存量は充分でしたが、骨髄採取前にもともと貧血があり、それが、その後ドナーに影響を与えたということです。現在では採取前の貧血は、ドナーとして不適格となっています。  実例3も、貧血をおして骨髄採取を施行した例で、これも現在ではドナーとしては不適格となっています。  実例4は、途中の三次検査で見落とされた?事例で(もしくは三次検査から健康診断までに発病した?)、これは不可抗力な部分だと思います。  これらを対処するためには、登録時に諸検査を行い、ドナー適格を判定するシステムも必要かと思います。    高久副理事長の日本骨髄バンク経過報告は、第23号の「骨髄バンクを支援する 愛知の会」設立記念シンポジウムで、小寺良尚が日本骨髄バンク近況として報告したのが、詳細に掲載してあります。ご参照下さい。  今回の全国大会では、ドナーと患者が壇上に上がり、現在の心境を述べました。当然、1対1対応ではないので、直接ドナーに対しての感動とか言葉はなかった様です。それでは別に患者とドナーを同じ舞台に上げなくても、同じ話が聞けたのではないかと感じますが・・・。かといって、1対1の「涙のご対面」がいいという訳ではありません。今回は、患者が直接自らの意志で、壇上に上がったということが、画期的ではないでしょうか? 自分が病気であることを公表して(もちろん財団としては患者の氏名・住所等いっさい公表していませんが・・・)公衆の面前に出ることは、かなりの勇気がいると思います。それをおしてこうやってみんなの前で発言していただけるのは、その患者さんが闘病生活を続ける間に、いかに多くの命の灯火が消えていくのを見てきたか・・・、それを少しでも何とかしたいという気持ちからなのでしょう。ドナーが見つからずに死んでいった患者、ドナーが見つかって骨髄移植を受けられても、不幸にして合併症でお亡くなりになった患者、残された患者家族の姿を、何度となく見てきて、自分が元気になったことへの感謝の気持ちと共に、一緒に闘病生活をしてきて、亡くなっていった患者の気持ちを背負って、彼らは生きていくのでしょう。  今回のドナー、患者の発言の中には、多くの学ぶべき点、反省すべき点があるように思います。  患者側で言えば、移植を受けて、元気になったことは喜ばしいことですが、その間に何度も入退院を繰り返している患者さんは、職場復帰の道が絶たれてしまっている場合があります。会社によって病欠扱いや休職扱いの期間はかなりまちまちで、最後は退職扱いになるケースが多いのです。また、学生では、休学扱いとなり、長期に及ぶと進級できないケースがほとんどです。院内学級を整備して、最低高校程度までは進級できるようになればいいのにと思います。小児の場合には、それでも多くの悪性疾患が難病指定になっているため、医療費が援助されますが、一家の大黒柱が失業した場合は、とても大変です。それらを救済する公的な制度がもっと充実するといいですね。  さらに、これも当初から問題になっていたことですが、ドナーが見つかっても、無菌室待ちの間に病状が悪化して移植が受けられなくることがあるという報告は、ただ単に医療側だけの問題ではなく、もっと患者間の意識の問題(たとえば、世話になった病院からなかなか離れられない・・・とか、移植できる病院を自分で探して、もしくは主治医に紹介してもらう様に言うこと)を変えないことにはいけないのではないでしょうか。  大病院しか骨髄移植が行われていないことも事実ですが、その大病院指向の改善と、各地域に骨髄移植センターの設置、整備を早急に必要でしょう。純粋に医学的理由で移植の時期が伸びるのではなく、無菌室待ちで移植の機会を逸することだけは避けたいものです。  またドナーに断られたケースでは、これがコーディネートが正しく行われれば、しかたないことで、提供者の気持ちが途中で変わった、もしくは、家庭等の事情でできなくなった訳で、それはドナーが持っている「権利」です。しかし、問題は別の所にあり、もし患者主治医側が、最終同意後の健康診断に「合格」するまでドナーとしては適格でないことを、患者側に充分説明してあるかどうかということが重要で、三次検査で一致したドナーが見つかった時点で、「すぐにも移植ができる」様に患者側に伝えると、患者側が「ぬか喜び」をしかねない結果になることがあります。その後、新たなドナーが見つからずに患者が死んでしまったものなら、「ドナーから断られた・・・」と一生後悔していくことでしょう。(以前、そんなテレビニュースがありましたっけ・・・) 患者主治医は、患者が喜んでもらうことが嬉しく、ドナーが見つかったらすぐにでも提供してくれるように伝えたがりますが、その点を充分に考慮して、最後の最後まで慎重に行動してもらいたいものです。最後に、移植後の合併症で苦しんだ患者さんの話では、移植が並大抵のものではないということを物語り、そして、それを支えたのは、ドナーへの感謝の気持ちと、志し半ばで死んでいった同じ病気の患者さんの無念の気持ちだったのでしょう。  ドナー側からいうと、コーディネーターの説明で、不安が消えると言ったドナーや、アンケートにもコーディネートが進む間に、家族の賛成も増えてくる・・・ことから、充分な説明の時間が必要であることは明かです。そして、帝王切開に例えたドナーさんのように、問題意識(危険性)を持つこと、子どもを生むことと、見ず知らずの患者を救うことが同等の価値をもつ(というのは言い過ぎかな?)と言ってもいいのかもしれません。さらに自分なりに様々な手段で情報を得て、判断したとしたドナーさんは、「訳が分からないからやめとき」と言われたことに対してかなり憤慨していました。  また有給休暇をやりくりして提供してくださったドナーさん、提供したことにより自分に自信がついたドナーさん、彼女からの手紙よりも患者さんからの手紙を大事にしているドナーさん、極めつけは骨髄を「提供させていただいた」「いい経験をさせていただいた」と断言して下さったドナーさん、これらの提供して下さったドナーさんや、今も骨髄提供をしようと待って下さっている提供希望者の皆さんによって骨髄バンクは支えられています。  最後に、骨髄バンクが発足してから早3年、「過渡期」といわれる時期は既に過ぎていると思いますが、まだまだ国際協力も始まったばかり、設立間もない海外の骨髄バンクが海外検索をどんどん受け入れているのに日本では「日本のやり方で行う」とマイペース。  はやく、システムとして確立したものになってもらいたいです。             (北)