今までの名古屋骨髄献血希望者を募る会が、活動を愛知県全体に広げるため、名称を「骨髄バンクを支援する 愛知の会」に改名し、その記念シンポジウムが平成6年10月15日(土)に国立名古屋病院の講堂で行われました。内容の一部を掲載致します。    司会(学生支部 富永 健) 主催者挨拶 愛知の会代表          大谷貴子  ようこそ、このシンポジウムにおこしいただき、ありがとうございました。1988年8月に名古屋骨髄献血希望者を募る会として発足しましてから、約5年経ちましたが、昨年10月から、多くのボランティアの方々の協力により、ようやく「名古屋募る会」から「愛知の会」に発足することが出来ました。  ご存知のように、私は最近あちこちに飛び回っていまして、この会のことが何もできないのが現状でした。ようやく皆さんのおかげでこのような会が出来るようになり、昨日、募る会結成以来、「総会」を初めて行いました。その総会で、「骨髄バンクを支援する 愛知の会」を発足させることが出来ました。今後は各地区に支部を持ち、いろいろな活動をしていきたいと思います。ますます大きな活動にしていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。  今日は最後まで、ごゆっくりと先生方の話を聞いて戴きたいと思います。本日はどうもありがとうございました。 来賓の挨拶 愛知県衛生部長          沢 宏樹  ご紹介戴きました愛知県衛生部長の沢です。本日は名古屋骨髄献血希望者を募る会が、さらに活動を発展させ、会の名称を「骨髄バンクを支援する 愛知の会」に変更され、それを記念にシンポジウムを開催されるということで、土曜日の夜、何かとご予定のある中、多くの方がお集まられ、たいへんご苦労さまでございます。  先日厚生省が骨髄移植の最近の状況を発表し、9月末でドナーの方々が58700人登録をしていただき、9月末までの移植件数が218件、患者さんで移植を待っておられる方が2300人、ということ。移植も順調に行われているということで、実は私も厚生省にいましたとき、骨髄バンクを担当していたものですから、たいへん感慨深いものがございます。私が厚生省におりましたときから、愛知県は骨髄移植の発祥の地だと申し上げておりました。現在移植施設は全国に91あるとお聞きしておりますけど、そのうち12が愛知県にあり、東京都は9ですから愛知県が一番多い。このように医療側もたいへんご熱心なのですけど、名古屋骨髄献血希望者を募る会がたいへんご活躍されて、骨髄移植に対する県民、ひいては日本国民の意識に非常によく普及していただいたのではないかと思うわけでございます。行政としてもなにかお手伝いをしなければいけないなと思っているわけでございます。今後の骨髄移植が進むこと、またこの「骨髄バンクを支援する 愛知の会」がますます発展し、ご活躍することをご期待いたしまして、ご挨拶とさせて戴きます。本日はお招き戴きまして、ありがとうございました。 東海骨髄バンク理事長         日比野 進  本日はよくお出かけ下さいましてありがとうございます。この名古屋骨髄献血希望者を募る会が今度新しい名前になりまして、「骨髄バンクを支援する 愛知の会」と改称するに当たりまして、このシンポジウムが開かれましたこと、まことに喜ばしく存ずる次第でございます。こういうふうに名前が変わりましたことにつれまして、名古屋における骨髄バンク事業が益々発展いたしまして、地上に幸福の輪が大きく広がっていくことを誠に私は楽しみにしている次第でございます。いずれにしましても、日本における骨髄バンク事業は、まだ始まったばかりに近い状態でございますが、このようにともかく順調に進んでおります。衛生部長さんのおっしゃったように、順調に進んでまいりましたのは、実に名古屋付近の関係者の皆様の非常なご努力、先駆的、指導的な役割を私どもは非常に高く評価しなければならないと存じます。今後ともこの地区におきまして、皆様がたのお力によりまして、骨髄バンクの内容、事業、その理解を深めて戴くことが出来るようになることを、私どもは希望致している次第でございます。そういうことで、今日のシンポジウムは非常に役に立つのではないかと存じます。  この骨髄バンクに対するご理解をお示し下さいまして、骨髄バンクにおけるドナーを希望されております方々の、そのお気持ちに対して誠に深い深い敬意と感謝の気持ちをもつ次第でございます。本日はどうも皆様よくおいで下さいました。ありがとうございました。 講演1 骨髄移植の現状 名鉄病院血液内科部長          森島泰雄  ちょうど6年前の9月、名古屋骨髄献血希望者を募る会(*1)の第1回のシンポジウムが、名古屋大学の鶴友会館で盛況に行われましたが、それから6年経って今までの非血縁(*2)の骨髄移植は、東海骨髄バンク(*3)で行われた移植も含めますと、もうじき300例になります。当初、私たちが予想もしなかったような早さで「骨髄バンク」が、充実しつつあるということはまことに喜ばしいことだと思います。ある程度軌道に乗りかけた時期に、この「募る会」が「愛知の会」に変わり、また新しくやり直そうということは、私たちにとりましても、非常に嬉しいことだと思います。  今日は実際に患者を治療する立場から、骨髄移植とはどういうものかということを報告させて戴きたいと思います。  骨髄移植にはいままでいくつかの転換点がありました。名古屋骨髄移植グループ(*4)で最初に骨髄移植が行われたのは1974年ですが最初の6年ほどは、かなり実験的な治療でありました。この時期にHLA(*5)を一致させた近代的な骨髄移植を施行し始めたのです。しかし残念ながら旨くいきませんでした。それはまだ移植が一般的な治療ではなかったため、通常の化学療法では治らず、全身状態のかなり悪い患者さんに、かなり強い治療法で骨髄を生着させるという、かなり厳しい移植でした。そのために、間質性肺炎(*6)等での死亡が多かったのです。  次の転換期は1982年頃です。これは患者さんの状態が良い時に骨髄移植をやれば、成績がよく、そしてかなりの症例に白血病を治すことが出来ることが分かったからです。またGVHD(後述)を予防する良い方法が出来たり、白血病細胞を完全に撲滅させるための移植前の治療法も、いろいろ工夫され、また移植後の白血球の回復を促進させる特別の薬が出来たり、間質性肺炎にたいする良い治療薬が出来たりと、移植の成績がだんだん良くなってきました。現在では急性骨髄性白血病ですと、良い時期に骨髄移植をすれば、だいたい2/3の患者さんは治ったという状態になるくらいの成績が出てきております。  しかし、いままでの移植は、兄弟でHLAという白血球の型が合っている患者しか骨髄移植はできませんでしたが、そうでない方はHLAが合った他人の骨髄を入れれば良いということになります。これは3つめの転換点になりますが、1988年に東海骨髄バンクを皆様方のご協力で作り、そして、1989年には、非血縁者間の骨髄移植第1号を行うことが出来ました。 骨髄移植そのものが、病院の中だけでなく、社会の中の医療ということでだんだん広がって行ったのです。  東海骨髄バンクで行われた成績は、比較的良い状態で移植を受けた患者さんでは、約半分の成績で、生存しており、治癒が望める状態です。これは欧米の成績に比べても遜色ありません。ただ反対に、半分の人は移植がなかなか旨く行かず、私たち治療する側の課題として残っています。その旨く行かない原因の最も大きなものは、今から述べるGVHDという反応であります。骨髄は、ドナーから全身麻酔で採取します。骨髄の中には、白血球の元、赤血球の元、血小板の元などの細胞がありますが、その中で、1000個に1個くらいの割合で、本当に血液のおおもとである「造血幹細胞」というものがあり、その採った骨髄を、バッグに入れられ、患者さんに点滴と同様の方法で入れ、廻り廻って骨髄で生着するということになります。  その様にして生着した造血幹細胞が、いろんな細胞に分化していくわけですが、そのうちのリンパ球という細胞は、抵抗力、免疫をつかさどる細胞で、その細胞も移植により変わってしまいます。  たとえば、まずAさんの骨髄をとり、Bさんにいれます。最初の反応として拒絶反応が起きますけど、骨髄移植の場合には、これと裏腹な反応が起こります。その反応をGVHD(移植片対宿主病)と言います。  簡単に言いますと、移植された血液の種から、先ほどの抵抗力に関係する細胞も生着します。その細胞は、もといたAさんの細胞とはどうも違っているぞ、と感じて、いろいろな壁を引っかいてBさんの体に障害を与えてしまう。引っかく場所は、皮膚、肝臓、腸などです。そのため、皮膚に発疹が出たり、下痢が起こったり、黄疸が出たりします。その症状が強く出ると、移植が旨くいきません。重いGVHDが起こらないようにするためには、組織の適合性(HLA適合)を一致させたドナーを選ぶのが一番です。たとえば10人のドナーが見つかれば、その中から一人を選んだ方が、たった一人のドナーしか選べないときより、適合度の高いドナーが見つかります。そういう意味で、まだ5万人ですけど、10万人、もしくはそれ以上のドナーが必要だということです。  またもう一つ、せっかくドナーが見つかっても、患者さんの病状が進んでしまって、なかなか良い成績が得られないという問題があります。このためには患者さんが良い時期に、できるだけ早く合ったドナーの方を見つけるということが、必要になってきます。そのためには、適合のある方が見つかったら、移植が早くできるように、コーディネート(調整)を早く行うことが必要となってきます。また移植する病院も人手が足りません。しっかり移植ができるような医療体制を考えていかなけれいけないと考えています。  この骨髄移植は医者、病院というレベルだけでなく、社会の中の医療というレベルになってきていると思います。これからもボランティア団体を始めとする全国の皆さんの援を受けて、患者さんが治るように努力していきたいと思っております。 骨髄バンクの           現状 名古屋第一赤十字病院       第4内科部長          小寺良尚  みなさん、こんばんわ。名古屋募る会が愛知の会に発展したことを共に喜びたいと思います。今日は骨髄バンクの歴史と必要性をお話したあと、骨髄バンクの現状をお話させていただききたいと思います。  過去数年間で、骨髄移植の技術が日本でだいたい安定した時期の成績を、日本骨髄移植研究会が全国集計した結果では、HLAが一致した兄弟から移植をする成績と、兄弟以外でもHLAが一致した成績は、ほとんど変わらない生命予後が得られる、それに比較してHLAが異なると成績が悪くなってくるということが分かっています。HLAの適合性が同種骨髄移植の成績を良くする上では本質的な問題だということです。  それで、HLAの適合した骨髄移植のQOL(クォーリティーオブライフ、患者さんの社会復帰度)を調べたものでは、1年経って生存している患者さんは、QOLが非常に良い、ほとんどの人が社会生活を送っているということが分かっています。生命予後がいいと言うだけでなく、QOLも同種骨髄移植は保証するというものです。そうしますと、骨髄移植が兄弟姉妹間のHLA適合した患者(これは、患者さんの約3割程度ですが)だけにしか適応できないということは、もはや許されないということになってきます。その残りの7割に骨髄移植の機会を与えよう、もっと具体的に言えば、HLAの適合した非血縁の骨髄提供者を世話をしようというのが、骨髄バンクの基盤となっているわけです。  年間どれだけそういう患者がいるのかというと、白血病、再生不良性貧血という病気に限って、そして比較的若い年齢に限って、また通常の治療法で治ってしまう患者さんを試算して、差し引いたとしても、潜在的には毎年約1500人〜2000人くらいのかたが、非血縁ドナーを必要としていることが分かってきました。  骨髄バンクはそういう患者さんのために主治医を介して、誰でもいいから私の骨髄を役立てて下さいという、ボランティアの方から骨髄をいただいて、・・もっと具体的に言えば、患者のHLAを登録しておき、提供希望者のHLAを検査して登録しておき、必要な患者がいたときにHLAの照合を行い、もし一致する人がいたら、提供までの期間を仲介するというものが骨髄バンクです。  骨髄バンクは歴史的にみて、1979年、イギリスのアンソニーノーランが一番古いです。現在、世界的に骨髄バンクは広がっていますが、その中で最も大きいのがアメリカのNMDP(*7)で、現在では約130万人を越えているのです。アンソニーノーランは25万人となっています。あと、ヨーロッパとオーストラリアを合わせて70万人ほどですので、白人を中心としたドナープールは約200万人となっています。アジアではわが国を除いては、最近台湾で4万人を越えるドナープールを作っておりまして、韓国ではたしか3000人、中国では1500人、香港、シンガポールなど、アジア系のバンクが出来てきています。  わが国では、1987年から複数の地域で骨髄バンクを作ろうと、患者さんの家族が中心となりまして骨髄バンク運動が始まった訳ですが、1988年の始めから、名古屋で、今日愛知の会に発展しました、名古屋骨髄献血希望者を募る会が出来まして、翌年には東海骨髄バンクが出来て、非血縁者間骨髄移植をわが国で最初に手掛けたわけです。その後、1991年には九州骨髄バンクもできて来まして、民間ながら公的な性格をもつ骨髄バンクが国の骨髄バンクを作る基礎になってきたのです。 1991年12月には、骨髄移植推進財団が財団法人に認定されまして、すぐドナー募集を始めまして、6月から患者募集を開始しまして、1993年1月に財団を介した骨髄移植が行われた訳です。国際的にも既に患者さんの問い合わせがありますので、海外向けにはJMDP(Japan Marrow Donor Program)と呼んでいます。組織的には、まだ生まれたてでまだ確立されていない部分もありますが、企画管理委員会というのが運営委員会を兼ねています。ドナーのHLA検査と患者とのマッチングを行うデータバンク事業と言うのは、日本赤十字社のご努力で、中央にデータセンターがあります。しかし血液を採取・検査するというのは、中央だけでは出来ませんので、58の地方データセンター、地方の血液センターがこれを担当して下さいまして、最近では、ある地域では保健所でも採血を行っているところもあります。骨髄移植推進財団は事務局として、普及広報委員会、これは大谷さんが頑張っているのですが、中央調整委員会、これは森島先生や私が入っているのですが、財務委員会といったものがあるのです。この中で普及広報委員会の協力機関として、ボランティア団体の全国骨髄バンク推進連絡協議会があります。中央調整委員会は全国を8つのブロックに分けまして、各地区に事務局を持っています。そこに事務員を配置しまして、各地区、いわゆる公共性、広域性、公平性という日本骨髄バンクの最初の理念を実行すべく、努力している訳です。企画管理委員会はいろんなことを立案しているのですが、医者だけでなく、様々な職業の方が協力して行っています。中央調整委員会は、現在20名くらいの各地区の移植の中心となっている人が参加して行っています。普及広報委員というのは、宣伝のプロや推進連絡協議会の代表がはいって行っております。財務委員会とは、どうやってお金を集めるかということ考える委員会です。経営コンサルタントや弁護士が入っていただいただいております。  各地区はこの8つのブロックに分かれているのですが、医師を中心とする調整員、最近ここに、コーディネーターという名前の専属の方達が、全国で約200名が既に研修を終えているのですが、医師と一緒に仕事をするということになっております。  日本骨髄バンクの実績をお話しますと、登録者は2月に5万人を越えたのですが、いまは毎月1500人から3000人の方が、新にHLAのA,B、もしくはDRのタイピング済みのドナーということで、データセンターに登録されております。私どもの予想を越えて早い期間に当初の目標でありました、5万人というドナープールを越えたわけですが、第2の目標であります、10万のドナープールには来年の半ば頃に到達するであろうと思われます。ドナーの方の地域分布は、今年の2月に調べたもので、だいたい人口比に比例しています。つまり日本骨髄バンクの普及活動は、北から南まで日本隅々に行き渡っているのではないかと思われます。  次に患者ですが、1992年の6月に患者登録が開始されましてから、毎月70人から100人くらいが新に、非血縁のドナーを求めて登録してきます。累積の登録数は、現在では2000人を越えているわけです。患者さんの地理的分布も、人口比に比例しております。海外からも登録されており、既に40件くらい問い合わせがあります。HLA登録済みの提供者と、患者さんとの実際の組み合わせは、少し古いデータですが、42000人の登録者のうち、2800人が、HLA−A,B、DRが一致した患者が見つかっている。また、患者さん側から見ますと、1700人のうち、900人以上の方、つまり半数以上の方が少なくとも、自分と同じHLAを持った方が日本のどこかにいるという結果になっております。つまり一人の患者に平均3人の提供可能者を持つことになります。しかし、これだけでは骨髄移植はできず、3次検査というのを行います。これは、いままではMLC検査(*8)を施行していましたが、いまではDRの遺伝子タイピング(*9)に切り替わっております。提供者のうち約1/3が3次検査に応じ患者さんはほとんど全員が応じており、その結果、約250組、患者さん側からみますと約1/3、提供者からみますと約1/4が移植をしてもいいという結果になりました。その中から、現在では200例の骨髄移植が実施されたということになります。  200例の状況と簡単な成績をお話いたします。だいたい全国で、一ヵ月に2桁の移植が行われている。予想ですが、10月からはこれより更に多くが行われるようになると思われます。(表1参照)対象疾患では、急性白血病が35%占め、のこりは慢性の疾患となっております。(表2) 血縁者の間での約2000例の過去の対象疾患を見ますと、この比は逆転して、7割近くが、急性の白血病となっております。このことは、まだこの200例の方は、まだ提供者を充分余裕をもって待つことのできる方が恩恵を被っている。本当に急がなければいけない方は、まだ比率として少ない。このことが、まさに今の日本骨髄バンクの到らない点、といいますか、その不完全さを物語っている訳です。  200例のうち1/3は子供、2/3は成人であります(表3)。移植患者の居住地別に関しては、東海北陸が2番目ですが、骨髄移植の件数は一番多い。(表4) これは、患者が移動してくるということで、本来なら、患者が自分の地域で行うのが一番いいのですが、各ブロックで移植センター的な病院が数施設できることが望まれるのです。当地区は比較的恵まれているのではないかと思います。  提供者の情報に関しては、男女比はほぼ1.5:1、年齢は40才代もかなり多いです(表5)。入院日数に関しては、私の予想では4日くらいが多いと思っていたのですが、各採取施設が慎重に対処していただいているようで、それも反映して、4〜5日が一番多くなっています(表6)。採取施設の地理的な分布に関しては、関東がドナーも多く関東の施設が頑張って採取していただいているということを示しています(表7)。これも関東は中央で宣伝が非常に行き渡っているということを物語っているのですが、他の地区も頑張って、日本骨髄バンクを全国でもり立てるというということが必要です。  これは患者さんをお持ちの家族の方には非常に興味がおありかと思いますが、200例の患者で、登録から移植までどれだけ時間がかかったかということを示していますが(表8参照)、ピークは200日から300日の間にある。要するに、骨髄が欲しい、と登録してから、1年間は待たなければいけないということになっています。中には650日を越える方もいらっしゃいます。各ステップでどれだけの時間がかかっているかといいますと、全体で354日、登録からHLA−ABの適合ドナーがいるという返事が来るまでに、平均100日かかる。そのドナーにコーディネーターをつけて、MLC検査(DNA検査)をするのに100日かかる。その後、同意書を取るまでに80日以上かかる。同意書取ってから移植までに60日以上かかる、ということになっています。我々の努力する目標は、ドナープールを多くして、特に最小日数は4日で見つかっている人もいるため、ということは合えばすぐに返事が来るわけですから、これはドナープールさえ大きければ、この日数はどんどん小さくなる。500日も待った人は、何度も何度も検索をかけていて、ある時ある人が登録したら、その人と合ったということですね。この部分はコーディネートに関することで、これはコーディネートを合理化することで、この部分を短縮する。同意から移植までの時間は、これは医学上の理由でどうしても必要なのですが、2カ月は少し時間がかかりすぎなので、移植施設、採取施設を充実させて、ここを短縮する。合計の日数を短縮させ、さきほどの急性白血病の患者にも充分間に合って救えるようにするというのが、我々の日本骨髄バンクの目標となっております。  非血縁者間骨髄移植の成績ですが、国の成績は100例の段階では70%ですが、これは200例になっても変わりないです。これはあくまで単純な生存率であって、もっと1年以上経って、もとの病気が再発しない、GVHDも乗り切った、感染症も乗り切った人たちが何人くらいいらっしゃるのかということを、現在日本骨髄バンクの中の委員会で解析中です。 解析の途中経過を、NMDP、東海骨髄バンク、日本骨髄バンクで比較したものがあり、第16回の骨髄移植研究会で、日本骨髄バンクを代表して岡山大学の原田先生が発表されたものですが、NMDPは良い時期に骨髄移植をして40%、東海骨髄バンクが50%、日本骨髄バンクが、観察期間は短いのですが、1年まででは64%という成績が出ている。状態の悪い患者でも、それぞれ19%、37%、65%と、いわゆる先輩のバンクに比べても、見劣りのしない成績をあげているということがいえます。  最後に提供者について少し、提供された方、提供しようとしていらっしゃる方も、今日ここにいらっしゃるかと思いますが、提供者のことについていろんな調査が日本や、世界で行われています。調査方法はアンケートを中心として、採取病院、コーディネーターから聞き取り等をしていますが、NMDPに比べて、採取直後の調査が不十分であったということがありまして、現在、日本骨髄バンクの中の委員会で調査中であります。  症状としては、発熱、疼痛が主ですが、大体どの骨髄バンクでも、入院が延長する様なものが約5割にあります。しかし生命予後に関わるような合併症は見られていないと言うことです。  これからも、骨髄バンクと非血縁骨髄移植の成績はいろんな機会を通じて、またいろんなメディアを通じて皆様のお手元に届くだろうと思います。やはりあまりそういうデータを性急に解釈し過ぎてしまうということもしばしばあやまりをおこすわけでありまして、私どもも、少し時間はかかりますが、日本骨髄バンクを通じて充分観察期間を持った成績を皆様のお手元に届けたいと考えています。この会が日本骨髄バンクを今後とも手を携えてサポートして下さる会に発展して下さることを祈りまして、私の講演を終わりたいと思います。 質疑応答  骨髄提供時には全身麻酔ということですが、その後何か後遺症は残りますか? 小寺  日本骨髄バンクの200例、東海骨髄バンクの55例で、2〜3例を除いて全身麻酔です。NMDPでは7割くらいが全身麻酔、残りの3割くらいが腰椎麻酔、硬膜外麻酔となっております。安全性から言えば、全身麻酔が一番であるということは、おそらく世界中の麻酔医の統一見解だろうと思いますが、中には提供者が、自分の行われていることは知りたいという方もいらっしゃいまして、そういう人には硬膜外とか、腰椎麻酔で行っているようです。後遺症の問題ですが、こういうことをご報告するのは残念なのですが、血縁の提供者の中で、同種骨髄移植が約4万〜5万例行われているのですが、それだけドナーがいるということにもなるのです。そのうち2例の死亡事故があります。1例はわが国で起こりましたが、この原因も解明されました。またそれに似たようなことがあるかないか、研究会・学会が責任を持って調査をしておりますが、その結果、そう言ったものはなく、この1例のみでした。それを除いて、長期に渡る後遺症が残ったという報告はありません。ただ長期と言っても、何か残ったというのがないのであって、いままで200例の中には、腰の痛みが取れるのに1カ月以上かかったという方もいらっしゃいますが、それは麻酔の副作用ではありません。いまのところ、世界ではその不幸な2例が報告されているだけです。 名古屋骨髄献血希望者を募る会の歩み  愛知の会学生支部長      松田 いずみ  昭和63年8月3日、名古屋骨髄移植グループの医師たちの協力の中、現在も代表を勤めております元患者、大谷貴子らが中心となってボランティア団体である名古屋骨髄献血希望者を募る会が発足しました。中日新聞の朝刊、社会面のトップ記事として紹介され、8月3日だけで、電話はひっきりなしに88本かかってくるほど、反響はすさまじいものでした。励ましの言葉もあれば、患者家族からの言葉もあり、登録希望者の殺到は、関係者を大いに勇気づけました。会の名称は当時まだそれほど一般的でなかったドナーとかバンクと言うカタカナを使わずに、何とか目的を適格に表す言葉はないかと検討した結果、この様な名前になりました。  9月10日、発足して1カ月あまりで骨髄バンクシンポジウム名古屋が、名古屋大学附属病院内で開催されました。当初予定していた人数を大幅に上回り、200人を越す方が来場され、会場内に立ち見が出るほどでした。ドナー登録の申し出も多く、用意した採血管が底をつくという思わぬ嬉しい誤算もありました。  この様な一般の方への普及と理解のため、骨髄バンクの必要性を訴えるシンポジウムは、その後、何回か回を重ねていくことになります。  10月17日、この頃から、いまの全国骨髄バンク推進連絡協議会の前身であります、全国骨髄バンク早期実現を進める会のスタッフと連絡を取り合って、100万人の署名活動を始めました。この署名は後に何回かにわけて、国会請願の時に提出されています。平成元年5月15日、この頃にはドナーの採血結果が約440人近く出そろったため、募る会とは別に名古屋骨髄バンク委員会(東海骨髄バンクの前身)として患者登録が開始されました。そして10月21日、全国初の骨提供者登録制度「東海骨髄バンク」が組織として正式に発足し、同日に設立記念シンポジウムが開催されました。骨髄移植の先進地、名古屋で日本初のバンクが誕生したのです。約300人のシンポジウム出席者の中には、悲願の実現に目頭を押さえる患者家族の姿もありました。  移植にこぎつけるためには、コーディネーターがドナーと連絡をとり、日程調整を行っていく必要があります。この様な業務が拡大する中で、多くの事務局員が仕事を行っていくことになりました。そして、募る会の目的は、日本骨髄バンクを設立することであるため、果たす役割はまだまだ終わっていないということで、東海骨髄バンク発足後はその協力機関として、ドナー募集部門、報道部門を担当していくことになります。  東海骨髄バンクがスタートしてから5カ月近く経った平成2年3月9日、東海骨髄バンクによる非血縁者間骨髄移植第1号の成功記者発表が行われました。東海骨髄バンク発足後、月を経る毎に、登録者は増加して行きました。そして同時にこのころから国民の理解が深まってきたと思われます。そしてようやく日本骨髄バンクへの光が見えてきたのは、11月21日、厚生省が公的骨髄バンク設立に向けて、3億4千万円の概算要求を提示した頃からでした。この年のクリスマスから、私たち募る会では、毎年クリスマス献血を行っております。全国骨髄バンク推進連絡協議会の参加メンバーが、全国一斉に呼びかけている行事で、輸血用血液が不足しがちなこの時期に行っています。もちろん今年のクリスマスにも栄広場で行う予定になっています。平成3年になりますと、公的骨髄バンクの設立に向けて、着々と準備が進んでまいりました。6月7日には骨髄提供者に傷害補償されるようになり、7月3日には、日本最大の骨髄移植センターが名古屋第一赤十字病院に完成しました。 12月18日、私たちの待ちに待った公的骨髄バンクが誕生しました。東海骨髄バンクが設立されてから、2年2カ月が経過しました。先駆的役割をはたした東海骨髄バンクの実績があってこそ、国が動いたといっても過言ではないと思います。 日本骨髄バンクが本格的に稼働するまでには、しばらく時間がかかるということで、東海骨髄バンクとしては、しばらく従来通り活動を続けることになります。骨髄提供者登録は2日後の12月20日から始まりました。そのため、年内をもって東海骨髄バンクはドナー登録を中止しました。平成4年6月22日には、日本骨髄バンクによる患者登録が開始されたため、東海骨髄バンクによる患者登録は中止し、ドナー、患者の登録業務は推進財団に一本化されました。国のバンク設立を求めて旗揚げした我々の東海バンクは、悲願成就を見届けて、機能の大部分を閉じることになります。  このあと、東京都立駒込病院のドナー麻酔事故が発生したのは、それからしばらくした8月5日のことでした。東海骨髄バンクとしてはそれまでも、麻酔による事故は有り得ると説明してきたものの、実際に骨髄採取に関して重体な事故が起きたのは、日本では初めてのことでした。  12月18日には、東海骨髄バンクで骨髄提供されたドナーに感謝する集いが行われました。この時集まったドナーが、新に募る会に加わっていくことで、組織的にも内容的にも地元愛知県に基づいた普及、啓蒙活動を進めていく基盤になり、「愛知の会」の発足の原動力になったともいえます。  平成5年1月28日には、ようやく日本骨髄バンクの移植がスタートしました。この時期には日本骨髄バンクへの登録者も鰻登りに上昇しています。そして2月25日に東海骨髄バンクとしては最後の55例目の移植が行われました。  先ほどから申しておりますように、この名古屋骨髄献血希望者を募る会の目的の一つは、公的骨髄バンクを作ることでした。目的が達成され役割は終了したのですが、この時期からは原点に帰って、地域の人々に対する普及と、正しい理解のために活動を行っていくことになります。募る会の発足当初から発行しています募る会会報で、一般の方にもボランティアを募集し始め、新しくメンバーを再編成し、ちょうど1年前の10月15日から、毎月定例のボランティアミーティングを開催し、活動をし始めました。  ことしの2月20日は、活動し始めてから初めてのイベントとして、この国立名古屋病院のこの舞台で、東ちづる・刀根麻理子と語ろう骨髄バンクシンポジウムを開催いたしました。患者への同情より行動をとドナー協力を訴え、むずかしい医学的な内容のシンポジウムとはまた違った親しみをもって聞くことのできる身近なイメージをアピールできたと思っています。同時に昨年末に中日新聞社から出版されました「55人に届いた いのちの贈り物 東海骨髄バンク」と故中堀由希子さんの記録「いのち煌めいて」の出版記念パーティが同時に行われました。  また今年の8月7日から4日間、名古屋で開かれました全国医学生ゼミナールで、企画の一部として私たち学生支部が初めて企画した、白川公園で「命」の人文字を作りました。この人文字で作ったハート型のボードには募る会の会員の一人一人の骨髄バンクの充実を訴えるメッセージが貼られていました。それから最近、9月下旬より中堀由希子さんの記録「21才の別離」のテレビドラマ放映に先立ちまして、街頭PRを行いました。そして、昨日第1回総会が開かれ、名称が「骨髄バンクを支援する 愛知の会」に変更されました。募る会が再編成されてからちょうど1年目の本日10月15日、骨髄バンク推進シンポジウムが開催されることになりました。以上簡単ですが、募る会の足跡を発表させて戴きました。 体験談 大谷貴子  こんばんわ、いま後ろで、学生の人たちが作ってくれたスライドをみていました。私は今、日本全国を走り回っているので、お手伝いすることが出来ませんでしたが、信頼して任せておりました。よくあれだけ過去のことを調べて、まとめて下さったと感謝しております。そして今日黄色いジャンバーを着ているスタッフがたくさんおりますけれど、本当にいろんなことを次々とクリエイティブに考えて下さっている方がいるということで、ありがたく思いますし、良い時代になったなという気がしています。私は今日体験談ということですが、体験談に加えまして、いままでやってきたことの裏話もお話したいと思います。  発足当初の新聞記事についてですが、残念ながら最近おなくなりになりましたが、「恵里ちゃん」に新聞に出て戴きました。一人の患者さんを出すということは非常に心苦しく思います。私自身が新聞やテレビに出ていますけれど、出ることによって良いことは正直言って何一つありません。もと白血病患者というレッテルを肩に重く貼られ、何処へ行ってもそう言われるわけですから、自分自身のプライバシーはあったものではないわけです。それでも恵里ちゃんは小学生ながら、そういった重い荷物を背負って、骨髄バンクのために邁進してくれました。その記事を出す前ですが、森島先生はじめ、いろいろな先生方と骨髄バンクについて話し合いました。どの様に社会にしてアピールしていくのかということを話し合いました。でも正直言って提供希望者がたくさんお電話を下さるとは考えていませんでした。患者さん側からたくさんの相談があるだろう、そしてその患者さんからの相談が終わった頃に骨髄バンク事業というのは無くなってしまうのではないだろうか。つまり3日位でこの運動は終わってしまうのではないの?という悲観的な感覚でやり始めました。しかし初日に88本のお電話をいただき、その大部分が提供希望者でした。それは恵里ちゃんというかわいいお嬢ちゃんが前に出てくれたからこそ、そういった感情に訴える部分ではあったと思います。そして三日と続かないと思っていたこの運動ですが、初日のパニックを経て、今日という日があるわけです。その初日のパニックの時に、いろんな方からお電話を戴きました。「すぐお手伝いに行きましょうか」というお電話が多かったものですから、私はもともと厚かましいんですが、どなたにでも「お願いします」と言って頼みました。私はパジャマを着替える間もなく電話を取っていたものですから、そのまま初対面の人と会う様なことになりました。  その中でお一人、いま東海骨髄バンクの会計を担当して下さっていますが、その方も一人の提供希望者としてお電話を戴いたのですが、そのパンフレットの宛先が、会計事務所となっていたので、こちらからお願いして会計をボランティアでしていただくことになりました。最終的にその方は「当たった」と本人はおっしゃっていますが、見ず知らずの方に提供する機会にも恵まれました。また募る会の会報を発行しはじめましたが、最初はコピー機もない状態で始めたのです。いまだからこそ言えますが、名大病院の隅のコピー機で深夜コピーをしました。両面コピーしたいので、片方で100枚コピーしたあと、熱く反り返った紙を冷蔵庫で冷やし、再び裏面をコピーするということをしました。ときどき表と裏が反対になると言うような苦労を深夜にしながら会報を作ったのを思い出します。それはそれで楽しかったのですが、深夜の病院というのは不気味なもので、私は恐くて恐くてしかたなかったのを覚えています。でもそういった会報でたくさんの方に骨髄提供を知ってもらう機会を得たと思います。また今でも事務所は小さくて粗末なものですが、当時は私の家族が私のために借りてくれたマンションの一部屋で始めたわけです。私は、ご存知のように、名古屋大学で骨髄移植を受けたのですが、大阪出身なのでマンションを借りなければいけませんでした。それは父や母や姉が看病するために必要だったのですが、その自宅の電話を1988年8月3日に登録受け付け用の電話として公表したもので、電話が鳴りっぱなしになって、全く私用の電話としては使えなくなったのです。その時の電話は、いまでも事務所で使われています。そのため、その電話を募る会の電話とし、新に自宅の電話は引き直しました。しかし、自分の自宅の一部屋を事務所代わりにつかっているので、私のプライバシーは全く無くなってしまったため、しばらくして、ようやく小さいマンションの一部屋を借りることが出来るようになりました。しかし、そこから私の住んでいるマンションまで遠いということで、事務所に行くのに自転車かタクシーを使わなければいけないのです。自転車ですと、当時まだ移植受けてから間もありませんでしたので、少し行くと息切れがしてくるのですね。途中で知っている人にSOSを頼んで、自転車を取りにきてもらい、自分はタクシーに乗って事務所までいくとか、喫茶店で休むとか、そういうことをして事務所まで行かなければいけなかったものですから、事務所と家が離れいてる不都合さを考え、また自宅の近くに事務所を移転しました。  かかって来る電話は、どんな電話でも受けたいということで、事務所の電話を転送電話にし、どんな深夜でも電話が取れるように、努力といっては何ですが、そのように努めました。  昼間はボランティアの皆さんが来ていただけるようになったので非常に楽になりました。そうこうしているうちに、東海骨髄バンクとして動き始めることが出来たのです。  平成元年の8月頃、東海骨髄バンクの設立記念シンポジウムをしようということになりました。会場を借りるにはお金が必要です。募る会で集めたお金も底をついてきました。国際センターに会場を決めたとき、国際協力ということなら会場費は半額になることを知り、「アジアとの骨髄バンクの連携を目指して」という題をつけ、シンポジウムを開催することが出来ました。(そのスローガンも、やっと今年になって財団主催、全国大会で使われるようになりました。) 東海骨髄バンクが設立されてから、名古屋募る会は消えてしまったの?と聞かれることがよくありますが、提供者を募る団体があってこそ、東海骨髄バンクなのです。どうしても東海骨髄バンクの名前が一人歩きして、名古屋募る会は消えたと思われがちでした。東海骨髄バンクがあったのも、名古屋募る会でたくさんのボランティアの皆さんがあったからだと思っております。いま、この名古屋が愛知という名になったのも、その現れだと思います。東海骨髄バンクが出来て、非血縁者間骨髄移植が出来るようになりました。そして翌年(平成2年)の3月9日には、第1例の骨髄移植成功例を発表することができました。その時私は感動で思わず涙が出てしまいました。その患者さんは、この秋、まる5年を迎えられました。骨髄移植をして5年を迎えるというのは、ガンの克服であります。非血縁者間骨髄移植で元気に社会復帰し、最近ではガールフレンドにプロポーズをしたと言っていましたが、そのように一人の人生がいいように変わっていく骨髄バンク事業にお手伝いできたのは、今年の秋、また一つの大きな喜びでした。  そして、その間にも、残念ながらたくさんの患者さんとの別れもありました。ほんとうに辛い別れはたくさんあったのですけれど、その中でも東海骨髄バンクを立ちあげるために頑張って下さった壮年の男性がありました。テレビドラマ「21才の別離」では「浜田さん」という役名ですが、その浜田さん役をして下さいました寺泉健さんがおっしゃいました。「僕はこのドラマの中では1回か2回しか出るところは無いけども、この浜田さん役は非常に大事だね。もしかしたら中堀由希子ちゃんより大事な役じゃないかな?」と私に言って下さいました。まさにその通りです。中堀由希子ちゃんを骨髄バンクに紹介してくれたのが、その浜田さんでした。浜田さんがいて、中堀さんがいて、骨髄バンクもどんどん認知されるようになりました。  骨髄バンクのパンフレットを浜田さんの指に挟むシーンがありました。テレビでは、そのパンフレットを指から落としてお亡くなりになったのですけど、実際に彼が意識が無くなった日、事務所に出来たてのパンフレットが届いたのです。夜ではあったのですが、どうしても浜田さんに見せたくて、車を飛ばして持って行ったのを思いだしました。他の部分で泣いた方も 沢山いらっしゃったかもしれませんが、私は、ドラマの部分で一番悲しかったのが、あの部分でした。そしてその苦しい患者さん、辛い患者さんの支えが今までの原動力となっていたのですが、いまは、東海骨髄バンクで提供された方が、本当の真の意味でのボランティア活動としてこの会を支えて下さる時代になりました。  本当に明るい笑顔で、私たち患者とは違った感覚で、骨髄バンク運動に取り組んで下さっています。この愛知の会は、全国骨髄バンク推進連絡協議会の一つとして愛知県で頑張って行くわけですけれど、東海地方には岐阜、静岡、三重とそれぞれ会があります。名古屋はいちばん目立っていたのですが、組織的には全く出来ていなかったのです。それは私が一人でゲリラ的に行っていたためで、自分自身が組織力を持ていなかったこと、などいろいろな要素が考えられると思います。しかし、それを金銭的、精神的に多くの方が支えて下さいました。その中でも、経済的な支えが何もなかった私たちに大きな支えとなって下さったのが、ライオンズクラブの皆様でした。会場にも来ていただいていますが、ライオンズクラブの方々との最初の関わりは、一本の電話でした。瑞穂ライオンズクラブの尾崎さんという方ですが、その方の所属する瑞穂ライオンズから始まり、翌年、墨ガバナーの年になりまして、骨髄バンク事業を大きく広げて下さり、何とか借金することもなく、ここまでおこなってきました。  これから行政の方々にもいっぱいお手伝いをしていただかかなくてはならない時代になってくると思います。今日、沢衛生部長が来ていただいておりますけれど、私たち組織力を持たないものにとって、行政、ライオンズクラブ、ロータリークラブの方々のお力は何物にも変え難いものです。名古屋という名前ですと、名古屋市は応援するけれど、愛知県はなかなか・・・と言われたこともあります。また東海骨髄バンクという名前だと、愛知県としては何も援助ができない、つまり厚生省の扱いになるそうです。今日から愛知の会になるのですから、愛知県としてもお手伝いしていただけたらありがたいと思います。  いままで提供者の方々がこのように会を運営して下さった訳ですが、でも一方患者は患者なりに悩みがあったり、もっともっとよりよくクォーリティオブライフを高めていきたいと思います。それは提供者が見つかるとか見つからないとか言う以前の問題で、患者になったから何もかも我慢するのではなく、患者もこのバンク運動に楽しく入ってきて、そして楽しいより豊かな命を輝かせていけたら、と思いまして今年の3月、この場所で名古屋市、その近郊で骨髄移植を受けた方々、名古屋骨髄移植グループの先生方の手によって骨髄移植を受けさせていただいた「患者の会」をここで開催致しました。これは患者のプライバシーもありますので、マスコミの方々にはいっさいお知らせしないで行ったのですが、本当に圧巻でした。私自身が移植を受けて悩んでいることもありますし、喜びもやはりいっぱいあります。患者さんもきっといろんな悩みや喜びを持っているのだろう。そういった人たちと交流したいなと思っていたのですが、ガンの告知問題や、その後の様々な問題があり、実現がなかなかできませんでしたが、ようやく先生方のご協力で、ここに患者さんが沢山集まりました。あまり多く集まったもので、記念写真の時、先生方は入る場所がなく、そういう時は、患者さんの方が強いのですね、先生方はしかたなく床に座られました。そういった楽しい一日を過ごすことができましたが、いま、この患者の会もやって行こうと思っています。患者が声をあげることにより、骨髄バンク事業もますます充実したものになるでしょうし、患者が喜んで移植を受ける日が来たのなら、提供される方も喜んで提供されると思います。患者がなんだかんだで文句を言っていたりしたら、せっかくの移植も台無しになりますが、患者がとにかく喜んで移植を受ける時代が来るなら、もっともっと提供者の方も増えるのではないかなと思っております。  今年もライオンズクラブの方々は非常に協力的ですが、来年度には日本青年会議所の中で骨髄バンク事業に取り組むということが決まりました。来年度の会頭のお友達の方が、白血病でお亡くなりになったということもあるのですが、私は4年間くらい続けて青年会議所の方にお願いしてきました。ようやく実った感じがします。何をしていただけるかはわかりませんが、それで良いと思っています。登録をして下さいとはあえて言いたくないのです。何か一つお手伝い、たとえば、日本青年会議所の会報誌に「骨髄バンクに協力を」だけでもいい。それだけでも載せて下さるのなら大きな協力になると思います。今日ここにおこし戴いた方は、本当に今日ここで何があるのだろうなと思いながら来て下さったと思います。決して登録を促す訳ではありません。  今日、名古屋祭の暖かい良い日に、この場所に足を運んで下さったことが、とても大きなご協力です。私たちボランティアスタッフは、本当に何人の方が集まって下さるのか、とても心配でしたが、これだけの方が来て下さって感謝感激しております。今日ぜひおうちにお帰りになられて、骨髄バンクのことをまた話をして下さることが、骨髄バンクへの協力になると思います。またボランティアスタッフ沢山おりますけれど、皆さんは出来る範囲のことしかやっておりません。決して無理してやっておりません。学生は学生なりの文化祭の取り組みであったり、私たちは私たちの年齢にあったなりの対応の仕方、会社への骨髄バンクへのボランティア休暇の要請など、それぞれの年齢やそれぞれの職場に応じたことをしております。  どうか皆さんもご自分の出来る範囲のことで結構ですので、私たちの会へお手伝いをいただければありがたいと思います。  今日こんなに遅くまで残っていただいて聞いていただきましたことに、深く感謝したいと思いますし、私は何もしなかったのに、ここまで会を築き上げてくれました愛知の会 新しいメンバーに感謝したいと思います。どうもありがとうございました。 語句の説明 *1 名古屋骨髄献血希望者を           募る会  後に募る会の足跡がありますので、参照して下さい。白血病等の血液の難病に、骨髄移植が有効な治療法の一つですが、そのためには骨髄の提供を受けなければいけません。今までは兄弟からしか出来ませんでしたので、兄弟間に骨髄提供者が見つからない患者は、無念の涙を見ていました。しかし最近の医学の進歩で、HLAが一致した他人からでも移植が比較的安全に行われるようになりました。骨髄バンク運動は、骨髄を提供しても良いという骨髄提供者(ドナー)を広く集め、公的骨髄バンクを作るために始まったものです。この募る会も、かなり早期から活動を始めていました。 *2 非血縁  血のつながっていない「他人」という意味です。それに対するのが「血縁」といいます。普通兄弟姉妹がHLA(*6)が一致する確率が高いのですが、親子、叔父叔母からも移植は可能です。 *3 東海骨髄バンク  募る会の足跡の部分で、述べられますが、公的骨髄バンクが作られるまでの過渡的な「準公的」バンクとして、愛知県、三重県、静岡県、岐阜県の医師、血液センター、ボランティア等が集まって作られたものです。公的骨髄バンク(日本骨髄バンク)が発足した時点で、全ての業務を移管し、現在では、残務整理を行っております。詳しい記録は中日新聞社「55人に届いた 命の贈り物 東海骨髄バンク」に記載されていますので、ご興味のあるかたは、ご購読下さい。 *4 名古屋骨髄移植グループ  名古屋市とその近郊で、骨髄移植を実施している病院の関係者が集まって、毎月勉強会を開催しております。 *5 HLA  赤血球にA型、B型、AB型、O型があるように、白血球にも血液型があり、HLA(HumanLeucokyte Antigen、人白血球抗原)と呼んでいます。HLA−A、HLA−B、HLA−DRの3種類が、各々2組づつ組合わさっていて(計6個)、それぞれ20〜40種類あるので、その組み合わせは数万以上にもなります。そのため、完全に一致したHLAの型を他人から見つけるには、多くの人数が必要です。 *6 間質性肺炎  ある特殊なウイルスにより引き起こされるものがいちばん多いのですが、肺炎の中でも、急速に進行し、死亡率も50%以上ある恐いものです。 *7 NMDP  アメリカ骨髄バンク(正式名称はNational Marrow Donor Program です。) *8 MLC検査  リンパ球混合試験といい、生きた提供者のリンパ球と患者のリンパ球を同じ試験管の中で培養すると、旨く共存共栄できれば、移植しても大丈夫だろう。もし、互いが攻撃しあうような反応を起こせば、移植をしても旨く行かないだろうということが予想されます。  そのため、新鮮な血液で検査が必要ですので、ドナーと患者は同じ日に採血しなければいけませんし、また、新に患者が見つかれば、ドナーが見つかれば、その都度、検査が必要となります。 *9 遺伝子タイピング  上述のMLC検査は、患者の状態に非常に左右されやすく、またドナーと患者を同じ日に採血しなければならないという制約があります。それを解決するのが遺伝子タイピング(DNAタイピング)で、MLC反応を引き起こす蛋白物質の遺伝子そのものの違いを見るものです。ドナーと患者を同時に行う必要がなく、患者の状態にも左右されず、また一度検査すれば(精度等が変わらない限り)再検査は必要ありません。 骨髄バンクを支援する  愛知の会 きぶね 運営委員長 木舩有二 「骨髄バンクを支援する 愛知の会」の運営委員長の木舩です。本日はお忙しい中、ご来席戴きましてありがとうございます。  「愛知の会」を紹介させて戴く前に、現在の骨髄バンクの登録状況を少し説明させて戴きます。全国的にみますと、昨年(平成5年)は、非常に大きな伸びで登録数が増加いたしました。ところが、今年(平成6年)に入りまして、伸び率が徐々に減少し、横ばい状況となっています。これは、愛知県内におきましても同じ傾向にあります。ではどうしてこのような状況になってしまったのでしょうか。  「骨髄バンク」という言葉自体は、ある程度周知されてきていると感じています。たとえば、街頭でビラを配っていても、「骨髄バンクです」と言うと、最近では「ああ、骨髄バンクか」とほとんどの方は知っておられます。  では、どうして登録数が伸びないのでしょうか。一つは、既に登録しようという意志をお持ちの方は、登録が一通り済んでしまったのではないのではないでしょうか。実は、私自身もドナー経験者ですが、私の場合ですと、「骨髄バンク? こんなものがあるのか。それじゃ登録しよう。」とすぐに単純に登録してしまったのです。私のような単純行動派の方や、逆によく勉強されて「こういうことなら協力しましょう」といわれる方はすでに登録されたのではないかと思います。また一つは、当初、5万人登録を目標として、頑張ってきましたが、すでに5万人を突破し、安心感?があるのではないでしょうか。  では、ここから登録数を増やすにはどうしたらいいのか。まだ、この答は出ていません。これからの私たちの重要課題と考えます。  ただ、愛知県だけ考えてみますと、いままでの私たちの活動は名古屋地区中心の活動がほとんどでした。そのため他の地域は「骨髄バンク」に対してまだまだ周知されていないのではないかと思われます。登録したくても登録方法が分からない」という方がおられるのではないかと思われます。  そのためには、まず全県内に活動を展開していく必要があると考えました。今回「名古屋骨髄献血希望者を募る会」の名称を「骨髄バンクを支援する 愛知の会」に変えた理由も、全県下に活動を展開していくためであり、今後は、愛知県全体が活動範囲と考えています。  「愛知の会」の組織や活動内容は、募る会会報22号の最終ページに、過去1年の活動状況と会わせて記載してありますので、説明は省かせて戴きますが、各地域に支部の設置も検討しており、今後行政とも連絡をとり、各企業にも働きかけながら、骨髄バンクの支援を推進したいと考えています。  最後に「愛知の会」は、全くのボランティアの集まり、現在、80名程度で行っていますが、活動を行う上では、まだまだ人手不足です。骨髄バンクには登録出来ないが、ボランティアならできるといわれる方がございましたら、ぜひ、私たちと一緒に活動しませんか。また、いろいろと勉強して行きたいといういう方は、会報等を送らせて戴きますのでご一報願います。  今後とも「骨髄バンク」ならびに「愛知の会」に皆様方のご協力をお願い致したいと思います。どうもありがとうございました。 クリスマス献血  恒例のクリスマス献血がやってきました。今年も12月23日(金)午前10時〜午後4時まで、名古屋、栄広場で開催いたします。皆さん、ぜひ献血にご協力下さい。なお、今年は成分献血車はありませんので、成分献血をご希望の方は、栄献血ルーム(今池ガスビル内・栄広場から歩いて数分)まで、ご足労お願いします。 詳細は 骨髄バンクを支援する 愛知の会 電話 052−263−1957 まで、ご連絡下さい。  募る会会報第22号発行から今回の第23号発行までに、多くの方からのご寄付を頂戴致しました。今回も紙面の都合上、全員の方のお名前を掲載することは出来ませんが、総額を記載いたします。 平成6年10月3日〜11月16日受付分 東海骨髄バンク宛      1、745、586円 名古屋骨髄献血希望者を募る会宛        362、151円 でした。皆様、たいへんありがとうございました。今後とも、ご支援、ご協力をお願いいたします。  骨髄移植を受けられる患者さんや、また骨髄を提供されたドナーにとって、移植を受けた後、どのような経過をたどるのか、多くの方はあまりご存じないと思います。「骨髄をもらう方は、ただもらうだけだけど、骨髄提供する方は、非常に痛い思いをするのだから、損だ」という話も聞いたことがあります。そこで、今回から数回に分けて、移植後に起こること、ひいては骨髄移植の問題点を掲載し、将来的な方向性に向けての検討をしていきたいとおもいます。 はじめに  骨髄移植とは、白血病・再生不良性貧血等の血液の難病、または一部の代謝疾患の患者に、大量の抗癌剤投与や全身放射線照射をすることによって、患者の癌細胞や機能不全に陥っている細胞を絶滅させ、健康な人の骨髄細胞を移植して、新しく血液細胞を増殖させ、それによって正常の機能を回復させる治療法です。  骨髄移植は、前処置という強力な治療を行い、非常に高度な免疫抑制状態になります。そのため完全無菌管理下で厳重な無菌操作を行って、患者さんを扱います。輸注された骨髄が増殖し、白血球が1000個以上になるまでには約3週間かかります。白血球の数が増えれば、無菌室から開放され、一般個室扱いになります。  骨髄移植の成功率が50〜60%であるということは、逆に40〜50%は骨髄移植が不成功であるわけです。骨髄移植は万能の治療法ではありません。  強力な治療法であるが故に、副作用もそれなりに強く出ます。これから移植に関わる様々な問題点を述べます。 感染  抗ガン剤の影響が一番効いている無菌室内では、白血球の減少が著しいため、感染を引き起こしてきます。そのため無菌室に入る前に体の中の感染のもととなるものは全てなおしておくことは大原則です。たとえば虫歯などは、患者の生命を脅かす感染のもととなりやすいので、移植前に全て治療するか、抜歯してしまうかしなければなりません。また腸内細菌も骨髄移植における高度の免疫不全状態では命取りになる感染源となり得ます。そのため腸内細菌の無菌化を2週間前から始め、腸内細菌を全部ころしてしまいます。また肺の中にいる細菌等は、抗生剤の吸入をすることにより、全滅させます。しかし以上の事をしても、100%感染を防ぐ事は出来ません。感染が悪化すれば、肺炎や敗血症を引き起こし、患者は死亡します。 出血  また血小板の回復が遅れ、出血傾向が悪化すれば、脳出血や肺出血などで死亡します。それらの問題点に対しては、それぞれの対症療法を行うとともに、白血球増殖因子などの使用により、高度骨髄抑制状態からの回復を図ったり、簡潔化出来るところは簡潔化を図りながら、無菌管理を徹底することで対処します。 IP(間質性肺炎)  また感染症とも関係してくるのですが、間質性肺炎も非常にこわい合併症の一つです。これの原因はサイトメガロウイルスや、ニュ−モティスチス・カリニイ原虫など、普段健康人にはほとんど害を及ぼさない病原体が、骨髄移植のような高度免疫抑制状態の患者には致命的な肺炎となります。もちろん、それ以外の細菌やカビ、ウイルス、結核や薬剤、放射線障害でも間質性肺炎は起こってきます。一端、間質性肺炎が起こってしまうと、救命率は50%前後と致命的です。まず予防が原則で、その次が早期発見、早期治療が原則で す。 拒絶・GVHD(移植片対宿主病)  また、拒絶やGVHDという反応が移植後に起こります。これは、人間の体は、外界と隔離されていて、外部からの侵入者に対し、白血球が「いままでの自分の細胞とは違うぞ」と認識し、攻撃を加え排除しようとします。これを免疫と呼んでいますが、通常の臓器移植、たとえば腎臓移植とか心臓移植などでは、移植された提供者の臓器が、この患者の免疫により排除されてしまう事を拒絶と呼んでいます。骨髄移植ではこの拒絶は、日本人の兄弟間の場合ほとんど起こりません。また、骨髄バンクなどで非血縁者から行った移植の場合は、ある程度の確率で起こることもあります。しかし骨髄移植の場合は、もう一つの重要な反応が起こります。これが移植片対宿主病といいGVHDと呼んでいます。骨髄移植では攻撃をする細胞そのものを移植するため、移植され増殖した白血球にしてみれば、患者の体自体が、いままで自分がいた環境(ドナーの体)とは違うと判断し、患者の体全体に攻撃を加えるのです。これには急性GVHDと慢性GVHDがあり、急性の場合は主に皮膚や肝臓、腸管、慢性の場合は皮膚や粘膜、分泌腺などが攻撃の対症となります。  このGVHDは軽度で済めば、患者自身の細胞である白血病細胞をも攻撃するため、再発を低くする利点もありますが、残念ながらそれをうまくコントロールするすべは現在ではなく、強度に起こってくると、生命をも脅かします。  重症のGVHDが起こると、肝臓や腎臓などの臓器を障害するばかりか、GVHDの治療のためにさらに強い免疫抑制をかけるため、感染症の出現、増悪が起こります。また、免疫抑制剤は、副作用も強く、免疫抑制剤を増量したことによる腎障害、肝障害から、多臓器不全になる場合もあります。また、副作用が出現すれば、免疫抑制剤を減量せざるを得なく、その場合はGVHDの悪化にもつながります。このように悪循環が繰り返され、臓器不全、もしくは感染症によって死亡する場合もあります。 再発  また悪性疾患の骨髄移植では、再発も当然問題となってきます。前処置にて大量の抗ガン剤を投与したにも関わらず、悪性細胞を完全に殺しきれず、それが次第に時期が経って増殖をし始め、再発してきます。再発すれば、一度生着したドナーの骨髄は、再び排除されてしまいます。再発率は、10〜30%程となっています。  このように感染症、出血、間質性肺炎、GVHD、再発の各々に対し多くの課題を残しています。移植片の拒絶に関しては、よりよい前処置による免疫抑制療法、T細胞という白血球の一部を輸注骨髄から除去する方法を取り入れるなどの方法で対処します。GVHDに関しては、より副作用がなく、よい免疫抑制剤の開発等が待たれます。感染症に対しては、白血球増殖因子の開発により、高度の白血球減少状態からいち早く回復させることが出来るようになりました。しかし、骨髄球系の白血病に対しては、白血球増殖因子を用いることにより、白血病細胞の増殖を促す可能性も全く否定はされておらず、まだその使用を躊躇せざるを得ない場合もあります。出血に関しては、血小板の輸血にて対処していますが、頻回輸血による血小板に対する攻撃因子、血小板抗体の産生や血小板輸血が追いつかず、出血による死亡などを回避するためにも、出来るだけ早い血小板の回復が期待され、血小板の増殖因子の開発も待たれます。間質性肺炎に対しては、早期発見、早期治療が原則ですがさらによい薬の開発も待たれます。 ドナー不適格条件  ドナー不適格条件が決定されました。いままであいまいな基準で、一部の地域で提供希望者と血液センターでトラブルがあったようですが、このたび基準を明確にし、該当されるかたは登録できないことになりました。これは、なにも提供希望者の熱意を無にすると言うことではなく、骨髄提供を受ける患者側のことも考えての措置です。もちろん、最終的な適格性の判断は採取病院において行われますが、もし該当されるかたは、なにも骨髄提供だけが骨髄バンクへの参加ではありませんので、よろしくご協力お願いいたします。 (コーディネート開始時の基準ですが、該当する方は、コーディネートが出来ませんので、登録はご遠慮下さい。) @気管支喘息   過去1年以内に発作があり、 現在の服薬中である場合は不適 格、運動誘発型の発作は可。 A糖尿病   インスリン等の血糖降下剤に より治療中の場合は不適格。食 事療法のみにて良好にコントロ ールされている場合は可。 B高血圧   収縮期圧>150mmHg、 拡張期圧>100mgHgの場 合、降圧剤内服中の場合は不適。 C低血圧   収縮期圧<90mmHgの場 合は不適格。なお服薬にて90 mmHg以上に安定している場 合は可。 D心疾患   虚血性心疾患の既往がある場 合、不整脈があり服薬を必要と している場合、ペースメーカー 使用者は不適格とする。不整脈 があっても服薬の必要がない場 合は可とする。 E肝疾患   A型肝炎罹患後6カ月、HB s抗原陽性、HCV抗体陽性の 場合は不適格とする。A型肝炎 あるいはアルコール性肝炎既往 者で、治癒後6カ月以上を経過 した肝機能正常者、HBワクチ ン接種によるHBs抗体陽性者 は可とする。 F貧血   治療中の貧血は不適格とする。 また、一般献血の際の検査で比 重不足とされた場合は不適格と する。ただし、基礎疾患のない 鉄欠乏性貧血で鉄剤によりヘモ グロビン値が正常に回復し、服 薬中止後も貧血の再燃や進行が ない場合は可とする。 G悪性腫瘍   悪性腫瘍の既往はすべて不適 格とする。 Hけいれん性疾患   過去1年間に発作があるか、 現在の服薬中の場合は不適格と する。 I輸血歴   輸血を受けたことがある場合 は不適格とする。 Jアレルギー   薬剤による血圧低下ショック、 呼吸困難等のアナフィラキシー や高度の薬疹の既往がある場合 は不適格とする。 K膠原病   膠原病の既往があるか、投薬 中の場合は不適格とする。 L体重   極度の肥満(ブローカ指数> 40%)は不適格とする。  *ブローカ指数=(実測体重− 標準体重)÷標準体重×100  *標準体重=(身長−100)   ×0.9  男性45kg未満、女性40k g未満の場合は不適格とする。 Mウイスル感染症   HIV(エイズウイルス)、 ATL(成人T細胞白血病ウイ ルス)等が陽性であることが判 明している場合は不適格とする。 N妊娠・分娩   妊娠中ならびに分娩後1年間 は不適格とする。 Oその他   骨髄採取や移植の支障となる ような疾患(器質的、精神的) がある場合、骨髄採取や移植の 支障となるような薬剤を服用し ている場合は原則として不適格 とする。  また採取病院における最終判断ガイドラインも決められました。  コーディネート開始時の不適格条件と重複する部分は除き、記載いたします。 1。呼吸機能(重複) 2。循環機能(重複) 3。肝機能   血清ビリルビン、GOT、G PT等が正常の2倍以上は不適 切、正常上限を越え、2倍未満 の場合には総合的に判断し、決 定する。 4。腎機能   血清クレアチニン≧1.5、 BUN>30mgの場合は不適。 5。血液   ヘモグロビン13g未満(男)  12g以下(女)、白血球30 00未満、血小板13万未満は 不適切、ただし基礎疾患のない 鉄欠乏性貧血は鉄剤投与により 12g以上あれば可。 6。糖尿病(重複) 7。極度の肥満ならびに体重不足。 8。けいれん性疾患(重複) 9。悪性高熱症   本人または家族に既往がある 場合は不適切とする。CPKが 異常高値の場合は麻酔科医の判 断で可否を決定する。 10。感染症(重複) 11。輸血歴(重複) 12。悪性腫瘍(重複) 13。アレルギー(重複)   ただし、軽度の食物アレルギ ー、蕁麻疹、湿疹等は可とする。 14。膠原病(重複) 15。妊娠・分娩(重複) 16。その他   採取決定後であっても、採取 医あるいは麻酔科医が不適切と 判断する事項が発生すれば移植 病院主治医ならびに中央調整委 員会に相談の上採取を中止する ことができる。  また、内服薬に関しても、様々な制約があります。健康のつもりでビタミン剤を飲んでいたりとか、ちょっとした胃薬をのんでいたりとかする場合もあるかも知れません。しかし、全てを把握することは不可能です。また、医者から軽い胃薬と言われていて、全く別の薬を投与されている場合もあります。問題は、ちょっとした薬でも、それが状態の悪い患者さんに輸血された場合、命取りになる場合もあるからです。(風邪薬、解熱鎮痛消炎剤の中には、血小板の機能を低下させる働きのある薬もあります。) 本当に健康であれば、内服薬は必要ありません。これは、患者の命を守うえで、非常に大切なことです。輸血歴に関しては、様々な議論がありますが、今回は輸血歴のある方は不適格ということに落ち着きました。これは、現時点でも輸血後の肝障害を引き起こすウイスルが100%同定できない以上、また、検査精度に限界があり、偽陰性がある以上、一度輸血を受けた方はご遠慮願うことになったようです。  ご自分が骨髄バンクに登録出来るかどうかは、献血が出来るかどうかの基準とほぼ変わりません。 まだ、献血をされたこともない方は、献血から始めてみては如何でしょう。  財団が設立されて、3年が経過しました。今回は全国大会会場を大阪に移し、同時期に開かれる骨髄移植研究会に参加するアジア太平洋地区の骨髄バンク関係者にも参加をいただき、今後のアジア地区における骨髄バンクの連携等についてのパネルディスカッションを開催します。実際骨髄を提供された提供者、骨髄提供を受けた患者、医師、コーディネーター、看護婦各々数名ずつが壇上に上がり、骨髄バンクに対して活発な討論が繰り広げられる予定です。多くの方のご参加をお願いいたします。 編集後記  また?性懲りもなく「募る会会報」を出してしまいました。名古屋骨髄献血希望者を募る会」が「骨髄バンクを支援する 愛知の会」に変わりましたが、「募る会会報」は既に名古屋募る会の会報に留まらず、多くの方の支持を得ている?とのご意見が多く、そのままの名称にて今後も発行を続けさせて戴きます。発行母体は「募る会会報発行委員会」とさせて戴きます。発行者は今まで通り「大谷貴子」、発行責任者は「北大路元次郎」とさせて戴きます。今後は地域の情報も出来るだけ取り入れていく予定です。  内容的にはいままでと、基本的な編集方針は変わりません。今後とも、骨髄バンクに関する様々な情報を皆様にお伝えしていきます。  次回は2月下旬くらいに発行する予定です。年間4回を最低ラインとして、その間に不定期に発行できたらいいと思っています。  12月に行われる全国大会に、患者やドナーが出演することになりました。最近、骨髄バンクを広めようとするあまり、骨髄バンクの大原則がなし崩しに、崩されつつあるような気がいたします。たしかに、現在、骨髄バンク登録者の頭打ちが始まっており、この時点でもっと何かアピール出来るようなことがないと、増え止まってしまいかねません。かといって、原則をどんどん崩してしまうことではいけないと思います。  次は、実際提供したドナーと、その骨髄を受けた患者の「涙のご対面」でもさせるでしょうか? その可能性も全くゼロではない以上、僕たちは全面的に阻止しなければなりません。 (確かにその方がアピール性があるかもしれませんが・・・・)   財団としては、もっと他の手段を考えるべきで、例えば、登録箇所の拡大、登録方法の簡便化、検査方法の簡便化など。また5万人に達したとはいえ、そのうち、本当に2次検査、3次検査から提供まで到る「真」のドナー希望者が何%いるのか? そのためにはどうすればいいのか? 3次検査まで終了して、健康診断で「初めて」異常が見つかるようなケースはどうすれば回避できるのか?  問題は山積しています。  来年度に向けて厚生省から出された骨髄移植対策の概算要求は、今年度に比べて約1億7千万の増額ですが、内訳は日本赤十字社に1億1600万の増額、都道府県に3200万の総額で、財団業務に対する要求増額はたかだか2300万円の増額となっています。昨年度の財団における普及啓発費用は6000万円近くになりますが、次年度の普及啓発要求額は2200万円に留まっています。(全国協議会ニュース28号より)  財団もサポーター制度を取り入れ、一口千円で募集していますが、これも資金集めというよりは、どちらかと言うと広報に近い感じがします。  バブル崩壊で、なかなかお金が集まらないのも事実ですが、安易な方法で一時的な盛り上がりだけで自己満足している財団は、見るに偲びありません。  無菌室拡大にしてもそうです。各病院に1つずつ無菌室を作っても、効率的な運営は全くできません。骨髄移植センターを各地域に作り、移植専門に行えるような体制が出来れば、無菌室の回転もよくなり、いまより多くの移植が可能となります。そのためには、つまらない学閥や、自分の患者を自分の病院だけで取り込まずに、無菌室の空いている病院にスムーズに紹介できるようなシステムを作り出すことが大事です。ドナーは見つかったが、無菌室の待ち時間に悪化し死亡された患者さんの話はよく聞きます。  現在、無菌室の数だけ言えば、全国に充分に対応できるだけの数はあるかもしれません。しかし、ほとんどの無菌室が、埃をかぶっているのではないでしょうか。  日本骨髄バンクにおいては経験豊富な病院を骨髄移植指定病院として認定(全国で91)していますが、やはり「有名」な病院に集中する傾向は否定できません。  何はともあれ、200例に達し、今後も更に増加する予定があります。しかし、ドナーの登録数も増え止まり傾向があり、無菌室の使用状況も「無駄」が多すぎます。いままで財団が行ってきた「業績」は素直に評価するとして、今後、これに自己満足せず、もっとドナーサイド、患者サイドに立って、現在の諸問題を解決して言って欲しいものです。財団といっても、職員以外は全てボランティアで行っている。 諸委員会の委員の方だけではなく、財団職員の意識改革、もっといえば、厚生省(大蔵省)のお役人の方にも、現状を知っていただき、より多くの予算をつけて戴きたいものです。(北)