17号会報原案  私達の待ちに待った「公的骨髄バンク」である「骨髄移植推進財団」が発足し、既に骨髄登録が始まっています。以下は財団についての簡単な説明です。 ***********************************************************************  財団法人骨髄移植推進財団の設立について 1 設立許可に至るまでの経緯  平成2年6月7日 公衆衛生審議会にもうけられた骨髄移植対策専門委員会の   中間報告において「骨髄移植推進財団(仮称)」の設立が提言される。 平成3年11月8日 設立発起人総会  平成3年12月2日 設立許可申請  平成3年12月18日 厚生大臣の設立許可(大臣室に置いて午後4時頃許可書を交付) 2 財団の必要性と国政上の位置づけ  骨髄移植は白血病などの有効な治療法であり、広く国民一般から骨髄提供者を募り、移植の実施につなげていくための公的骨髄バンクの実現は、保健医療行政上の重要な課題となっていた。この骨髄バンク事業のうち、国の役割や日本赤十字社の実施する骨髄データバンク事業以外の部分を担う第三者組織の必要性が骨髄移植専門委員会からも指摘されていたが、財団法人骨髄移植推進財団が設立されれば、公的骨髄バンク体系が完成することになる。 3 名称及び所在地  財団法人骨髄移植推進財団 東京都新宿区新宿1−29−8(公衛ビル3F)    TEL 03−3355−5041 FAX 03−3355−5090 4 主な事業  骨髄バンク事業を推進する事を目的として、 @ 骨髄提供希望者の募集等のための普及啓発 A 骨髄移植までの連絡調整 B 骨髄提供者の事故補償 C 骨髄移植に従事する者の研修 等を実施することとしている。 5 役員  理事長 :小池欣一(学校法人日本社会事業大学理事長)  副理事長:高久史麿(国立医療センター理事長)の他、理事19名、監事2名 6 基本財産  設立当初 1億1千万円(平成4年度中に4億円、最終的に8億円を目標)  寄付金受入口座:第一勧業銀行本店 普通預金4000593/財団法人骨髄移植推進財団  ※一般篤志家からの小口寄付がこれまでに65件、約880万円集まっている。 7 事務局  平成3年度は事務局長(常勤)、医師(非常勤)、女子職員2名(非常勤)の計4名、平成4年度は職員1名を加え、計5名体制  (注1)骨髄移植に関する普及啓発及び骨髄提供者の募集のため財団が作成したパンフレット、リーフレットは平成3年12月18日までに配布予定。  (注2)本格的な事務局体制(医師等の確保)が整うのは平成3年12月19日であり、同日以降一般からの照会対応が可能になる。 ************************************************************************  公的骨髄バンクが本格的に稼働するようになるには、もうしばらく時間がかかると思われますが、皆さまもご協力の程お願いいたします。  東海骨髄バンクとしてのコメントを戴いておりますので、以下に掲載いたします。  骨髄移植推進財団の設立にあたって ========================================================================   厚生省の積極的な取り組みにより、この度、私達の念願でありました骨髄移植推進財団が設立認可されました。このように異例なほど早期に財団が設立され、これにともない非血縁者(他人)間の骨髄移植実現に向けての第一歩である「ドナー登録」が開始されたことに、当帰A骨髄バンクとしても大きな期待をしております。 しかしながら、骨髄移植推進財団の設立が認可されたとはいえ、患者登録、その後のコーディネート、さらには骨髄移植の実現までにはまだ多少の時間を要するものと予想されます。  東海骨髄バンクとしては、右財団において一日も早く非血縁者間の骨髄移植が軌道に乗るように出きる限りの協力をしていくとともに、その間は、一人でも多くの患者さんを救うためにこれまで通りの運営を継続し、東海骨髄バンクが円滑に右財団に発展的に吸収・解消されますよう調整していく所存です。  平成3年12月吉日 東海骨髄バンク ========================================================================  先述のように東海骨髄バンクは今後も今まで通りの業務を行っていく訳ですが、財団の設立認可を受けて、今後の東海骨髄バンクの運営に関して、緊急理事会を開催し、決定されたことは以下の通りです。  ドナー登録:推進財団がドナー募集を開始した後、東海骨髄バンクとしては積極的にドナー募集を行うことはしない。しかし、推進財団のドナー募集が軌道に乗るまでは、ドナーの意志を生かすため、推進財団のドナー募集と摩擦を生じないように、今後もドナー募集・登録を継続する。  患者登録:推進財団が患者登録を開始した時点で、東海骨髄バンクの患者登録を中止。ただし、推進財団がコーディネート不能な場合は、患者登録が開始されても東海骨髄バンクは患者登録を受け付けることになる。  その他、公的骨髄バンクの進展を見守りつつ、協力しながら将来公的骨髄バンクに吸収されるまで現状維持を続ける。  昨年10月、当募る会代表・大谷貴子はじめ、東海骨髄バンク運営委員長・森島泰雄(名鉄病院第二内科部長)他3名がNMDPの年次総会に参加してきました。ここでは様々な問題点が積極的に包み隠さず討論され、活気にあふれていました。今後、日本でも起こるであろう問題点を今から考えて行く事も非常に大事な事ではないかと思い、森島が帰国後、運営委員会で報告した文章を掲載いたします。 はじめにNMDPの簡単な説明を致します。  アメリカの骨髄バンクの発祥は1970年代にさかのぼります。ローラ・グレビスという少女が1970年代前半、白血病に罹患しました。しかし、彼女の親族にHLAが適合するドナーが見つからなかったため、血縁者間骨髄移植を受けることが出来ませんでした。治療により寛解に入りましたが、骨髄移植を受けさせたい父、ロバート・グレービス(獣医で牧場主であった)は、HLAが一致していれば他人からでも出来るのではと考え、彼女のために骨髄提供をしてくれる人を探すために、既にHLA型を検査し登録されている全国の赤十字血液センターに出向きそこで血小板フェレーシスの登録者の中から探して貰うように頼み回りました。結果的にはその中からは見つかりませんでしたが、偶然彼女が入院している病院の検査技師とHLAが一致し、世界初の非血縁者間骨髄移植となりました。残念ながら彼女は一年後に再発し、死亡してしまいましたが、ロバート・グレービスはその後も同様な患者のために骨髄提供者を集める運動を続けました。その後、シアトルにあるピュジェット・サウンド血液センターにローラ・グレビズ骨髄移植財団を設立させました。同じ頃、ミネソタのツインシティではジェッフェリィーマックローがセント・ポール赤十字血液センター内に地方骨髄バンクを設立しました。同様の動きが、ミルウォーキーのサウス・イースタン・ウイスコンシン血液センターに、ピッツバーグのザ・セントラル血液センターに、アイオワ大学血液センターでおこり、地方バンクが相次いで誕生しました。しかし地方レベルでの骨髄バンクでは十分に機能しないことに気づいた彼らは、アメリカ海軍のエルモ・ヅモルトU世提督の助けを得て、議会と政府にアピールしました。彼の子どもも軍人で、ベトナム戦争で枯草剤の犠牲になり、後に悪性リンパ腫を併発、骨髄移植を受けていまする。1985年5月、NIH(米国保健省)は非血縁骨髄ドナー登録制度に関するアセスメント会議を開き、レポートを提出、それ受けてOTA(米国議会・技術評価局)はNBMDR(ナショナル・ボーン・マロウ・ドナー・レジズトリー)の設立を政府に勧告しました。1987年、米国海軍省はその研究所を通じて、マックローを主任研究者とするグループ(アメリカ赤十字社)及び地方バンクに350万ドルの研究費を支出、全国骨髄バンクのネットワークすなわちNBMDRを発足させました。1988年、NIHはNBMDRの正当性、有用性を高く評価し、その継続と資金援助の増額を勧告するとともに、NIHが計画を引き継ぐことを決定しました。 現在では、NMDPの宣伝にブッシュ大統領婦人が協力、子供の患者を抱いて骨髄バンクへの登録を訴えているところがNMDPの広報紙に載っています。 バーバラ・ブッシュは、「今日、医学の奇跡よって、見知らぬ人の贈り物によって、この子らの命は骨髄移植で救われています。しかし、たいへん多くの患者が、だれかが自分と一致する骨髄を提供してくれることを期待し祈りながら待っています。全ての人がドナーになれるとは限りません。しかし、もしあなたがそのたいへん特別な人であったら、どうか提供して下さい。あなたの骨髄をあげることは、命の贈り物をする事なのです。」と訴えています。 以下、NMDPの総会の内容です。 NMDP(ナショナルマロードナープログラム)年次総会  10月4〜6日 ミネソタにて ◎NMDPの年次総会が10月4、5、6日、ミネアポリスで開催された。米国各地のドナーセンター、骨髄採取センター、移植センターのコーディネーター、移植医約300人が参加した、このうち約4分の3は、コーディネーターであり、全国各地のコーディネーターの約半数近くが参加している事になる。また、世界各地のバンク関係者も招待され、13カ国から27人が参加した。主な参加国はカナダ、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア、イタリア、デンマーク、イスラエル、等からで、東洋系としては、東海骨髄バンクからの5人(大谷、小西、小滝、北折、森島)であった。 ◎この会の目的は、コーディネーター等バンク関係者が集い、コーディネートを含めたバンク運営の種々の課題につき討議し、バンクの運営方針、手順の見直しと今後の運営方針を立てるとともに、バンク関係者にバンク、非血縁者間移植成績(UR−BMT)、組織適合性検査(HLA)に関する最新の情報を提供する事であった。 【A】NMDPの歴史、現状と予算  #NMDPは1986年10月に設立され、1987年9月に最初のドナー検索が始められ、1987年12月12日に第一号の移植が行われた。91年9月現在、99のドナーセンターと53の移植センター、82の骨髄採取センターが参加しており、100例の移植は1989年2月、500例の移植は1990年に達成しており、総計827例(白人81.5%、東洋人0.1%)となっている。  4251759人のドナーの内訳は、フェレーシス登録者8.9%、フェレーシス以外の献血者15.9%、コミュニティからは57.6%、患者家族は1.4%となっており、コミュニティからの登録者が飛躍的に増加している。また白人は72.0%、アジア人5.4%、黒人3.5%、である。HLA−A、B型検査済み42万1759人、このうちDR検査済み78696人、HLA−A,B型のスプリット抗原が同定されていない人96747人、サイトメガロウイルス抗体検査済み68258人  #ミネソタにあるコーディネートセンターは事務・財務部門、HLA検索部、ドナー募集部門、一般教育部門に分かれており、現在55人の職員が働いている。 1991年のコーディネートセンターの予算は19万ドル(2.8億円)である。、このうち11万ドルは国からの援助で、ドナーのHLA−A,Bタイピング等の費用に当てられており、他の8万ドルはコーディネートセンターの運営に当てられており、患者からの支払等で賄われている。 矧ウ者の支払費用                 NMDP    フランス    イギリス ======================================================================== ・予備的検索           0ドル      50      50 ・正式検査の依頼       550ドル      −        −  (患者一人あたり) ・DR採血と検査      280ドル     350     450  (検体1つにつき)   ・MLC検体    400ドル    1200  700  (検体1つにつき)   ・追加の採血 最高400ドル    1200     700  (検体1つにつき) ・ドナーの血液検査   175ドル       −       −  (検体1つにつき) ・骨髄採取  17、000ドル 20、000 20、000  (ドナー1人につき) 骨髄採取が出来なかった場合は   ドナーへの同意      375ドル       −       −   自家血輸血(1単位につき)120ドル       −       −   ドナーの健康診断     600ドル       −       −   キャンセル料      1000ドル    1000 1000======================================================================= 【B】5日午後から6日午前にかけては、以下のブロックに示すようなUR−BMTの結果と、組織適合抗原(HLA)検査の進歩に関する報告がなされた。 HLAトピック @NMDPによるUR−BMTの結果の概要(詳細省略) A急性白血病の成績 【C】NMDPの現状と課題につき、リチャード・チャンプリン博士の司会の下で10人ほどの演者からの話題提供と討議が行われた。 1.NMDPの登録ドナーは1991年8月現在、40万6千人(90年9月には19万8千人)と飛躍的に増加している。この現状の中での問題点を挙げると、  A;小数民族のグループ(黒人、ヒスパニア人、東洋人)の登録者が少なく従って移植数も極めて少ない事が挙げられた。登録者の中で各人種が占める割合は、1990年には白人80.7%、東洋人2.9%、1991年8月には、白人72.2%、東洋人5.4%、黒人3.5%となっており、1991年9月までにNMDPを通じて870のUR−BMTが行われているにも関わらず、東洋人からの移植はたったの1名(フィリピン系)にすぎなかった。この理由の一つはパトリック・ベティ博士が報告しているように、人種によりHLAの違いがあり、白人のHLAドナーリストから東洋人がHLA適合ドナーを見いだす事は極めて難しい事を示している。また、一口に東洋人と言っても、その中の遺伝的背景は異なっており、白人間における相違度よりも大きい事を示唆するデータが示された。(もちろん同一民族(日本人)間の均一度は大きい。)  ・少数民族のドナー数増加のためにNMDPは特別の財源(ドナー登録一人あたり5ドル、ドナー集めのイベント一日につき65ドル以下の援助)を用意しており、来年度は3万6千人以上の小数民族ドナーの登録を目標としている(全体として14万4千人の新規ドナーを目標)。   NMDPの目標は equal opportunity for every races (あらゆる人種でも等しい機会が得られる事)である事が強調された。またこれと関連して、HLAデータに基づき適切なドナーサイズについての討議もなされた。  B;増加したドナー数に対処して、コーディネートを進めるための改善がなされている。また、財源の確保が大変になっている。(100万人のドナープールとすると9.8億ドルの予算が必要であり、1日400人のドナーにアプローチし、1日5件の移植が行われる事になる。また100万人のドナー数を確保するためには毎年10万人の新規ドナーの確保が必要になる。)  ・いままでのコンピュータ、ソフトウエアは数十万人のドナーが限界であり、今年よりDMATver2の新ソフトに切り替わっている。 2.一般主治医(内科医)が患者に移植を勧め、移植センターに紹介し、移植センターがNMDPに正式登録する際の問題点についても多くの討議がなされた。  現在NMDPでは一般主治医がNMDPに予備的検索(HLA適合ドナーがいるかどうかを聞く)を依頼できるようになっているが、1991年4月から104の主治医から129件の検索依頼(外国からは14の主治医から18件の依頼)があった。(HLA−A,B,DR適合ドナーが見つかった患者は41%であった。)  ・いかにして一般主治医にバンク及び移植の情報を提供するかに苦労しており、NMDPでは専用のOPA(Office for patient advocacy)事務所を設け、主 治医に一般的な情報を提供している。(ここでは個々の患者に関する相談は受け付けていない。) またNMDPに登録時の患者の支払、手続き、特に健康保険の適応の有無、その手続きにつき、患者側のコーディネータが費やす時間が多くなっている。 3.効率よくコーディネートを進めるためにはどうすれば良いのかのパネルディスカッションが5日の午後、1時間行われた。   現状では予備検索依頼日からドナーのHLA−DR検査の予約を得るまで平均15日間、正式検索でHLA−DR検査依頼からDR検査まで平均24日間、ドナーにMLC検査の採血依頼からMLC検査採血日の予約まで11日間かかっている。また適合ドナーを決定してから提供の同意を得るまでに平均21日(1〜730日)、同意を得てから骨髄採取までに42日かかっている。全体として、患者の移植依頼から移植まで、平均約6カ月となっている。  パネリストからは次のような点が指摘されていた。   @ ドナー管理をドナー募集と分ける。   A well defined (質の高い)ドナーを選ぶための基準の確立。   B 移植病院のMLC研究室が自由にMLC検体を受付れる体制を確立する。   C 健診結果を早く出し、ドナー選択する事。   D 何が緊急検索かを明確にする事。 4.その他、骨髄ドナーを他の目的(フェレーシス、HLAの学術研究等)に用いるべきかどうかの討論もなされた。(詳細省略) ドナーセンター(Puget Sound Blood Center ピュジェットサウンド血液センター(PSBC);シアトル)について  シアトルのPuget Sound Blood Center内にあるNMDPのドナーセンター部門を訪問し、2時間ほどドナーのコーディネートの実施につき視察をした。  PSBCには現在約1万3千人のドナー登録がある中規模のドナーセンターである、スタッフ(ドナーコーディネーター)は5人で、内訳は全体を統括しドナー募集行事等にも参加し広報するスーパーバイザー1人と、登録希望者を受付け、HLA−A,Bタイピングまでを担当する1人、NMDPを通じての患者からの要請でドナーのDRタイピングをコーディネートする1人、ドナーのMLC検査の採血、ドナーへの説明、健康診断の手配、同意の際の立ち会い、採取したドナーの骨髄を移植センターへ移送する役目をする2人である。  ドナーセンターの運営に関する予算は年間約10万ドル(1500万円)以上で、約3分の一はNMDP(つまり国家予算)からで、ドナー1人あたり1カ月あたり1ドル支給され、約3分の一は患者からの支払い(例 DRタイピングのコーディネート費用として1件あたり5ドル)、約3分の一はPSBCよりの援助を受けている。  ドナーのコーディネート順位に報告すると   @ ドナー募集は一般の献血者にアプローチする事によって大幅に増えた。   A DR採血はワシントン州にあるPBSCの数カ所の献血センターで予約なくて受け付けている。1カ月で約60件実施している。 B MLC採血はPBSCで実施している。この時にAIDS等のウイルス検査も同時に実施している。コーディネーターは検査の同意と説明をするが、MLCに応じたドナーが提供を拒否した事はない。   C ドナーのコーディネーションは移植センターであるフレッドハッチンソン癌センターとは完全に分離されており、PSBCでMLC等コーディネートされ、移植病院からNMDPを通じてドナーとして指名されたドナーはバージニアメーソン病院の内科医により健康診断を受けた後、インフォームドコンセントに署名するためPSBCに訪れる。PBSCの医者の説明にコーディネーターも立ち会い、約30分〜1時間説明を受けた後、OKならサインする。ドナーへの同意に、家族友人が立ち会う事は義務づけていない。   D この後、骨髄採取のため、バージニアメーソン病院医入院する。この病院のスタッフが、入院の手続き等ドナーの世話とする。通常早朝に入院し、午前中に骨髄採取をし、翌日退院する。定期的にNMDPのマニュアルに従い、コーディネーターはドナーの健康状態を問うアンケート用紙によりフォローアップしている。  ・1年に1回、骨髄を提供したドナーを招集してディナーの集いを開催している。 E 採取した骨髄はドナーセンターのコーディネーターによって、移植病院へ送られる。   F 現在までに約90例の骨髄採取がNMDPを通じてなされた。NMDPの骨髄採取数の10%にあたっている。 東海骨髄バンクの現状  現在、東海骨髄バンクには問い合わせ数12000人、ハガキ登録者数6000人、HLA検査済み者数2600人。となっています。コーディネートの結果、平成4年12月末現在、既に??名の骨髄採取が終了しています   患者からの手紙 患者Aの母親 御提供者の方へ  ありがとうございました。本当によく骨髄液をくださいましてありがとうございました。検査・手術におかれましては多大な苦痛ごあったと思われます。毎日毎日感謝の気持ちをもち続けております。  昨年の○月○日、息子を診察していただいて病名を宣告されたとき、夫婦で泣きくずれてしまいました。突然目の前がまっ暗になり何をどうしていいのかわかりませんでした。骨髄移植が最良の治療法と教えられ、兄や親戚・知人の方にHLAの検査をおねがいしましたが全て不一致でした。  息が詰まりそうな毎日が不一致のショックで体の力が抜け、途方にくれたころ、東海骨髄バンクに主治医の先生から登録していただき、二週間ほどで一致した方がおられたという通知をうけました。信じられないくらい嬉しく何度も何度もその通知を読み返しました。その反面、いざというときそのお方は骨髄液を提供して下さるかどうか心配で心配でなりませんでした。  移植を一週間後に控えた日、主治医の先生から詳しいお話があり、骨髄液をいただけることを再確認でき、次の日から前処置に入りました。  ○月○日午後○時○分から息子の体に骨髄液が入っていくとき、一滴一滴にありがとう・ありがとうの気持ちがわき、どうか息子の命を救って下さいと頼みながら涙がとめどなく流れました。  本当によく骨髄液をなも知らない見たこともない私達の息子にあげようと決心なさってくださいましたね。  やさしさと理解と勇気のあるお方だと思われます。 息子を救って下さっただけでなく私達一家を救って下さいました。御家族の方のご理解に感謝いたします。  私達一家にとって貴方様は神様以上の存在だと思っております。  ○月○日に退院できようやく元どおりの生活が始まり二週間がたちました。学校の教室へ一年ぶりに退院のあいさつに行き、息子も元気なお友達の声に圧倒されながらも始終笑顔で話しておりました。 家におりましても兄と遊んだりけんかをしたりしているのをほほえましく見つめております。  こんなに嬉しい日々は久しぶりです。  まだ体力がないので学校は欠席していますが、これからも主治医の先生の注意事項をよく守り元気になっていきたいです。貴方様に新たにいただいたようなこの息子の命、大事に育てていきたいと存じます。  お顔も知らないお名前もわからないお方ですが、心より御健康と御多幸をお祈り申し上げます。  当然ですが、一生このご恩は忘れません、本当に本当にありがとうございました。      患者C本人  拝啓、肌寒い季節となりましたがいかがお過ごしでしょうか。  この度は骨髄を提供くださり本当にありがとうございました。  おかげ様で、経過がとても順調で、○月末に退院致しました。この日を迎えることができ、また家族で暮らせるようになりましたのも、あなた様のご親切と勇気のおかげだとあらためて感謝致しております。  小さかった息子も一人歩きを始めました。たよりない足どりを支えてやることができる……そんななにげない日常に喜びを感じる毎日です。本当にありがとうございました。  あなた様にいただいた命を大切にし、健康の維持に努めることがご親切に報いる唯一の方法だと思い、頑張ります。  そして、あなた様とご家族のご健康をお祈りしております。  乱筆乱文ですが退院のご報告かたがたお礼まで。                            平成○年○月 患者Cの奥さんより  拝啓、この度は夫の為に、いえ見ず知らずの他人の為に大切なお体を傷つけ、骨髄を提供して下さり感謝致しております。  私たち夫婦は子供にも恵まれ、ささやかですがとても幸せに暮らしていました。そんな矢先に夫の病気が見つかりました。放っておけば必ず急性へと転化し手遅れになってしまうと宣告されました。  その時、私のお腹には3カ月の赤ちゃんがおり、目の前が真っ暗になりました。そして主治医より骨髄移植が最良の策であると教えられました。しかしあいにく夫は一人っ子で血縁者からの移植は望めませんでした。主治医の勧めで東海骨髄バンクに登録しHLAの一致する方が見つかる事を祈っていたのです。病気が悪化するのは10年後かもしれないし或は1カ月後かもしれない。そんな中私のお腹は大きくなっていく……果たして夫はこの子の顔をみることができるのか、抱くことができるのかと不安で、しかたありませんでした。そして年の瀬の12月、元気な男の子を出産しました。  新年を迎え、提供して下さる方が見つかったとの吉報。  まさに暗闇に光を見たという感じでした。  どれほど貴方様に感謝したことか、嬉しくて何度も泣きました。  もっと早くお礼を申し上げたかったのですが入院や治療などであわただしく過ごしてしまい今日になってしまった事をおわび致します。  この感激の気持ちをなんと言ってお伝えしたら良いのか……  私どもに未来を与えて下さりありがとうございました。  本当にありがとうございました。心からありがとうございました。  末筆ながら術後のお体、くれぐれもおだいじにして下さい。そして貴方様のご健康とご多幸をお祈り致しております。  最後にもう一度、ありがとうございました。  敬具  平成○年 ○月 名古屋にて… 提供者の手紙 提供者Gより  拝復 この度は丁重なる御手紙を頂戴致しまして有難うございました。先日、術後の検査の際、担当医の先生より、貴方の容体も安定していらっしゃるとのお話しがあり、私も安心致しました。 おかげ様で、私も術後の経過は良好で、現在は手術前と変わらない生活を送っております。  御闘病中の御苦労は、察するに余りあるものではございますが、どうか、一日も早く御健康を回復され、十分な社会生活を送られることを希望致しております。 今回の移植を通じ、人間の善意や命の尊さについて真剣に考えるが与えられたことに、私も感謝致しております。貴方が全快なさいましたときに、どうぞ貴方が持っていらっしゃる御力を社会の不条理に苦しむさまざまな人々にお貸し下さい。世の中すべての灯とが幸せに暮らしているのでは決してないことは十分御承知の事でしょう。そうした人々に貴方の貴重な経験を生かして助けの手を差しのべて下さいませ。貴方のような方を待つ人々は、たくさんいらっしゃいます。  今後の御健康と御活躍を心からお祈り致します。御闘病を支えて下さったご家族の皆様にもどうぞよろしくお伝え下さいませ。 敬具      平成○年○月○日 提供者Hより  私の骨髄液を受け取ってくださった方へ  ご容態はいかがでしょうか? もう今となっては何も出来ません。ただ毎日あなたの一日も早い回復をお祈りしています。  採取の跡は、点々が全部で15個でしたが、小さなかさぶたも取れ始めて、だんだん判らなくなりつつあります。とても気に入っていたので、ちょっと残念な気もします。  その点々を目にする度に、また無意識に腰に手がいく度に、あなたのことを考えます。 私に提供のチャンスを与えて下さったこと、感謝しています。骨髄移植はその前後の数週間、どれだけ苦しい治療に耐えめばならぬのか………無菌室の中での精神的・肉体的苦痛を想うと、今まさにその中にあるあなたの勇気を心から称えます。  私があなたの立場なら、潔く病気と闘い抜くだけの精神力を持ち合わせているか、全く自信がありません。あなたはたまたま私の代わりに病気と闘ってくださっているのかもしれません。  不思議な巡り合わせで、全くの偶然で私とあなたの遺伝情報の一部が同じだったことで、このような経験がえられたことをうれしく思っています。  そして今後は、まだ提供者を得ていない人と、潜在的提供者のために、私の経験を伝えてゆきたいと思っています。  ほんとうに有難う。そしてがんばって! あなたの人生を応援している私がいることを忘れないで下さい。  あなたが元気になられて、たくさんの時が流れたとき、いつかお会いできる日がくることを願います。もちろん、あなたが同じ気持であるのなら……。  まずは一日もはやくお元気になられることを祈りつつ……。                     ○年○月○日         提供者より 以下は了解を取れたら乗せる 野村 秀樹 様より    拝啓  朝晩の寒さも厳しくなり、いよいよ冬の訪れを感じさせる時期となりました。東海骨髄バンクの方より、あなた様のお手紙を回送していただきました。ご主人が亡くなられたことについて、心よりお悔やみ申し上げます。  今回、私が結果的に何のお役にもたてなかったことは、本当に残念でなりません。必ずお元気になられるものと信じていましたので、お手紙を読ませていただいた時には、ショックでした。 バンクには、たまたま登録用紙が手元にあったので、登録致しました。そして今回、結果的にはお役に立てなかった訳ですが、それにもかかわらず、あなた様からお礼のお言葉をいただいたことは、本当にそのようなお言葉をいただくに値するのかと私自身、自問いたしております。   最近、病院へ出入りする機会が多くなりました。救急車で虫の息で運ばれてみえた方が、数週間後には、笑って話ができるようになることもあれば、本当にささいな病気で命を落とされる方もみえます。このような事を目のあたりにしますと、「生命のはかなさ」というよりも「理不尽さ(どうも上手い言葉が見あたりません)」とでも言うべきものを感じてしまいます。こういう事で悲しい想いをする方をひとつでもすくなくしたいと思わずにはいられません。  最後になりましたが、あなた様やご家族の方が、今回の不幸なでき事を乗り越えて強く生きていかれることを信じております。寒さが厳しくなってまいりまいした。お体には充分お気を付け下さい。  末筆になりましたが、ご主人のご冥福を心から祈っております。                                 敬具         11月19日 患者D本人より  はじめまして。  元々字は下手なんですけど、特に今は免疫抑制剤の副作用で手が震えるので、読みづらいと思いますけど、何卒ご容赦下さい。  新幹線で曇り空の○○を出て、途中雨が車窓を濡らし嫌な気がしましたけど、愛知に入ると晴れあがっていた初夏の入院日を思い出します。病院の玄関で、「生きて娑婆に出られるのかなあ」と、これから始まるであろう大変な治療への不安に押し潰されそうな気持ちを震い立たせて自動ドアの前に立ちました。……あれから四カ月以上が過ぎました。おかげ様で移植後の経過は良く、○月中には退院できそうです。  無菌室の中で、強力な抗癌剤と放射線の治療で一旦死んだ身体に、新たな骨髄液が注入される時、第二の生を意識しました。そして、あなたからいただいた骨髄液の赤いパックに深々と頭を下げる気持ちでした。  本当にありがとうございました。  骨髄の提供者になるということは、実に勇気のいる、大変なことだと思います。その後お身体にさしさわりはなかったのかなと案じられます。  私の方は今は血液の染色体は女性の型に入れ替わっているそうです。考えてみれば不思議な気がします。大きな拒絶反応もなく、医師の話では、骨髄の相性は非常に良かったということです。ただ血液の働きはまだ正常時の半分ほどしかなく、まだ当分は在宅療養になります。来年の夏頃社会復帰ということになるでしょう。  一度は死んだ命です。これからの人生、少しは人に役立つ生き方ができればと心がけます。確かに人生の軌道は大きく曲折してしまいましたが、あなたはもちろんのこと、様々な人たちの善意で今生かされています。これを決して無駄にしてはいけないと思います。さりとて私に何ができるやら……。暇と時間は充分ありますから、じっくり考えます。  あなたがどんな人でどんな趣味をもっているかなど全くわかりませんが、少し私の趣味を書きます。東京ではよく演劇を観に行っていました。名古屋の劇団プロジェクトナビの演劇は特に好んでいました。去年の○月、病気が発見される一週間ほど前に観た「想稿銀河鉄道の夜」にはいたく感動しました。暇があったらプロジェクトナビの演劇を観て下さい。次いでに好きな映画を三作。「ミツバチのささやき」「ベニスに死す」「ブレードランナー」。興味があったらビデオで観て下さい。こういったのが孤独な夢想家の趣味の一端です。  あなたをイメージすることはできませんが、私にはかけがえのない人です。あなたが幸せな充実した日々を送られることを心より祈ってやみません。お互い精一杯生きていきましょう。                        骨髄提供を受けた者より  ○年○月 ドナーのアンケート集計   クリスマス献血のご協力ありがとうございました。 クリスマス献血に大勢の方がご協力していただき、ありがとうございました。12月23日に、栄三越北側、栄広場で開催されました。午後から小雨がぱらつきましたが、合計300人の方がご協力戴きました。毎年年末年始、1月頃は血液が不足する時期です。この時期にこのように多くの方がご協力戴き、主催者としても感謝いたしております。 編集後記  公的骨髄バンクも財団が発足し、登録者検査も始まっています。これから更に地道な活動が必要で、私達も、いままでの東海骨髄バンクが積み重ねてきたノウハウを公的骨髄バンクに提供しています。まだ患者登録やコーディネートは開始されていませんが、皆さま方のご協力をお願いいたします。  この会報は、いままで余り患者サイドの話しは掲載しない方針でした。あくまで提供者主体の会報であって、正確な情報提供と、できるだけ中立(提供者と患者の間)的な立場で編集してきたつもりです。しかし今回だけは、少し患者のことを述べさせて戴きます。  私達が募る会結成してから、自らは患者でありながら、患者としての立場を一度も主張せず、積極的にボランティアの一員として私達の運動を支え、常に的確なアドバイスを与えて戴いていた、当募る会の事務局長でもある磯 和夫氏が、先日他界されました。以下、大谷が自らの著書「霧の中の生命(いのち)」の増刷の言葉に述べている文章を抜粋いたします。 増刷に当たって  発売1カ月で、たくさんの方に読んでいただいたおかげでこの度増刷する事になり、このようにして皆さまの元にお届けする事が出来ました。しかしこの1カ月の間にとても悲しい出来事が起こりました。自ら白血病と闘いながら骨髄バンク運動をもりたててきた磯和夫氏がお亡くなりになられました。亡くなられた平成3年12月27日は彼の43才の誕生日でした。愛する奥様と小、中学生の二人の男の子を残しての旅立ちでした。磯氏の発病は約3年前。私と同じ慢性骨髄性白血病でした。名古屋からアメリカへの出向中に病気が分かりすぐに現地で告知されました。時を同じくして、名古屋では東海骨髄バンク発足に向けて急ピッチで準備が進められていました。彼はいつしか私達の仲間として運動に参画し、その緻密な頭脳で東海骨髄バンクや全国骨髄バンク推進連絡協議会の事業計画や運動方針を作成するような、運動には欠かせない存在となっていました。現在まで東海骨髄バンクでは二六組の骨髄移植を施行しましたが、彼がそのチャンスを患者さんに与えてきたと言っても過言ではないでしょう。  そんな彼がついに自分には骨髄提供者を見つける事が出来ずに亡くなったのです。亡くなる半年前に急性転化を起こし入退院を繰り返すようになり、最後の入院となったのが平成三年十二月十日の事でした。あと十七日でこの世を去るとは誰も予想をしていませんでした。彼はこの十七日間は丁度発売されたこの霧の中のいのちの販売拡大に躍起になっていました。それはたくさんの人に読んでもらい、一人でも多くの人が骨髄バンクに興味をもたれ、一人でも多くの人に骨髄提供者になってもらいたかったからです。また、公立図書館や学校図書館においてもらいたいというのが彼の願いでもありました。  そして雪の降る中、彼の葬儀がとりおこなわれ、その深い悲しみの中、奥様からご厚志の一部をバンク活動に役立てて欲しいというお申し出をいただきました。私は何とか彼の希望と意志を形に残したいと考え、そのご寄付で拙著を買い、各図書館に寄贈する事にしました。どうかこの本を手に取って下さった方が一人でも多くこの骨髄バンク活動に興味を示して下さる事を願い、また、見ず知らずの誰かを助けたいという気持ちになって下さったなら、ようやく動きだした公的骨髄バンクの提供者募集の所へ資料を請求して下されば幸いです。  磯氏をはじめとする無念の死を遂げた多くの患者さんがどうか安らかに眠れますように、又、今尚闘病中の多くの患者さんに幸多かれと祈る次第です。 大谷 貴子  毎回発行されるこの会報も、彼のチェックを全て受けてからの発行でした。彼のご冥福をお祈りいたしたいと思います。                  編集責任者 北大路元次郎